神社に掲載されている由緒書き
神社の左袖に掲載されている由緒書き
八幡山皇祖皇太神宮のいわれ
古文献によりますとこの御皇城山(おみじんやま)は天神七代を経て天孫降臨の御神勅により皇統第一代「天日豊本葦牙気身光大神天皇」が人類世界の統治者として神定され天降られた地とされております。
この場所は“神明”とされておりまして神宮の建立されたのがこの地区であります。
その神宮の神殿は上古五代天皇のときの記録では七百二十一尺、奥行き六百六十一尺(時代により千二百六十一尺という記録もある)という広大なもので屋根はヒヒイロガネで覆いた参殿づくりであったと記されております。
お宮は二十年ごとに換え地に交互に建てられました。その一方がこの八幡山ですが、天皇自身祭主される大祭には全世界から五色人がつどい八ヒラデ四拝礼をし、盛大なお祭りが行われました。
祭礼は−−深湯祭、鎮火祭、鳴動祭など術祭をおこない上下万民の安泰を祈念しましたが、世界の聖者たちもこの神宮で修行し一派を開き、その系統が現在までつづいております。
神宮は創立以後幾多の天変地変、土地の隆起陥没により神域は変形しましたが、ホド宮としての八幡山(ミド宮は久郷の地)皇祖皇太神宮はこのように由緒ある場所であります。
総本庁 皇祖皇太神宮
茨城県北茨城市磯原町天津山
御皇城山
皇祖皇太神宮のいわれ
皇祖皇太神宮の竹内古文書によると、太古の頃は今の久郷地区(現在の神明小学校西側にあたる)に、位置されていたが、天地大変動により、消滅してしまい、この時の天照大神が、皇祖皇太神宮を再興するべく、飛騨の位山より神通川を下って御皇城山に再建された。
敷地は、現在の北代、友坂、境野新、神明を結んだ処が聖地とされ、本殿は巾三六一尺×奥行?尺(110m×113m)、前殿巾七六一尺×奥行七二一尺(230m×220m)という大神殿が建てられた。又、東西南北には、大鳥居が建っていた。
空海、日蓮、親鸞、伏義、神農、釈迦、モーゼロミュラス、老子、孔子、孟子、徐福、キリスト、モハマメットタイ等の聖者がこの地を訪れ、人の生きる道を神より教わった場所である。
ちなみに北代、友坂、境野神、神明を結ぶエリアとは、城山公園〜呉羽山から富大を含む井田川まですっぽり囲むエリアである。富大のあたりに孔子が住んでいたとか、モーゼが呉羽に分骨されているとか、キリストが青森県で埋葬されているとか、常識的には荒唐無稽の物語が「竹内文書」の世界です。
神社の右袖に掲載されている由緒書き(右側から順番に3つの文書)
準備中
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