「因幡の白兎」を伝える白兎神社【5】記録に残しておきたいメモ書き|鳥取県

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記録に残しておきたいメモ書き

「因幡の白兎」の主人公の大国主命とは、第6代大物主の櫛甕玉命である

 平成24(2012)年5月20日(日)の追記。

 私が5歳のとき、「因幡の白兎」の絵本の表紙をみて、その表紙の大国主命に向かって私は次のように語りかけていた。
「あなたがここにいて、なぜ私はここにいるのか?」
 と。
 私は、絵本をもっている私の小さな子どもの手をみて、非常に違和感をもったことを昨日のように思い出している。
 「因幡の白兎」の伝承地を周ろうとすると、子どもの頃の記憶が鮮明に蘇ってきて、平成19(2007)年8月17日(金)まで周ることが出来ないでいた。

大国主命の「因幡の白兎」で有名な白兎神社
 → 「因幡の白兎」で有名な白兎神社

 子どもの頃の記憶が蘇る度に、「大国主命」について、どれだけのことを知っただろうか?
 ・・・こういう問いが頭をもたげてきて、なかなか行ききれなかったのだ。
 「大国主命」について調べれば調べるほど、難しさがいっぱいあった。
 第1代大物主の奇杵命も、大国主命や大己貴命と呼ばれていたし、第5代大物主の蕗根命も、大国主命や大己貴命と呼ばれていた。
 さらに、第6代大物主の櫛甕玉命も、大国主命や大己貴命と呼ばれていた。
 私が5歳のとき
「あなたがここにいて、なぜ私はここにいるのか?」
 と問いかけた「あなた」(大国主命)とは誰であったのか、明確に回答を出せないでいた。

 5歳の時の私の記憶の実感では、私はその「大国主命」と同じ時代を生き抜いてきたのだ。

 『上記(うえつふみ)』では、冬衣命(ふゆきぬ)が刺国若姫と結ばれ、大国主命(大土地神)を生む。
 冬衣命(ふゆきぬ)と刺国若姫の子が、大国主命であり「因幡の白兎」の主人公である。
 『上記(うえつふみ)』の冬衣命(ふゆきぬ)は蕗根命(ふきね)という別称をもっている。
 『秀真伝(ほつまつたゑ)』と『上記(うえつふみ)』に文脈上のつながりがあるとすれば、『上記(うえつふみ)』の冬衣命(ふゆきぬ)とは、『秀真伝(ほつまつたゑ)』の第5代大物主の蕗根命のことである。
 さらに、大国主命の母親の刺国若姫は、『秀真伝(ほつまつたゑ)』と『上記(うえつふみ)』ともに現れている。
 このように、『秀真伝(ほつまつたゑ)』と『上記(うえつふみ)』に文脈上のつながりがあるとすれば、「因幡の白兎」の大国主命とは、第6代大物主の櫛甕玉命である。

 こういう仮定は、2009年頃から持っていたが、今回三輪山に登山するまで確信をもてないでいた。

(※)参考→ 『秀真伝(ほつまつたゑ)』と『 注釈 上紀(うえつふみ) が伝える大国主命

 平成24(2012)年5月5日に、神坐日向社(ひむかい)と三輪山山頂の高宮神社(こうのみや)を参拝し、第6代大物主の櫛甕玉命が三輪山の頂にある高宮神社(こうのみや)に「日向御子神(ひむかいみこかみ)」として祭られていることを知って、これまでの不勉強を恥じた。
「因幡の白兎」の物語は、紀元前776年(50鈴木・999枝・2穂)から、第5代大物主の蕗根命が神上がり神武天皇が誕生される紀元前712年(鰐彦64歳)までの、櫛甕玉命が第6代大物主に就任する前の数年間の出来事だろう。
 この期間の紀元前718年に「鈴木の木」が枯れている。

白兎神社は私都川(きさいちかわ)流域に3箇所ある

 八東町(旧、郡家町〜こおげまち)に白兎神社が3つもあるということはほんの少し前までは、地元住民ですら全く知らないという状態だった。
 (※)特に、私都川(きさいちかわ)沿いに集中しています。

福本の白兎神社(本社)
白兎神社(天寺橋)
土師百井のもと白兎神社

兎とは、豊受大神の「豊かさ」の瑞兆をあらわす神獣である

 平成20(2008)年6月30日に記す(参考までに)

 白兎神社の東南側にある湖山池の重要性は、『湖山長者(こやまちょうじゃ)』という伝承から読み取ることができると思う。

 ⇒ 参照:稲葉神社

「田植えをその日のうちに終わらせようとして沈む太陽を呼び戻したら、翌日水田が池になった」

 この伝承の意味するところは、稲葉大明神(豊受大神)の統治が湖山池周辺にまで及んでいたということを意味しているのだと思う。

 大国主命が白兎に出会ったのは、湖山池の北西側に当たる白兎海岸であった。

 大国主命が出会った「兎(うさぎ)」とは、豊受大神の統治がつつがなく行われている時に現れる「豊かさ」の瑞兆をあらわす神獣(しんじゅう)である。

 因幡の白兎伝承当時、豊受大神の直接統治地である因幡でも、ダマシと暴力によって、まさに豊受大神の統治が失われつつあったのだと思う。
 神獣である兎がワニをダマシタという点、ワニが神獣である兎の毛を剥ぎ取ったという点、これらからダマシと暴力の影響下に世の中が落ち込んでいった状況が歌いこまれていると思う。
 こういう状況下で、大国主命は豊受大神の統治がつつがなく行われている時に現れる「豊かさ」の瑞兆をあらわす神獣(しんじゅう)である「兎(うさぎ)」を救ったのだ。
 このことは、大国主命はダマシと暴力を用いず、豊受大神の統治を完成させることを誓ったことを意味しているし、逆に豊受大神からそういう事柄を嘱託された、ということを意味しているかもしれない。

 これは、日本各地の魔軍動乱(中心地は出雲)を鎮圧して4万年経た、今から156万年前の物語である。

 これから5,000年後の大国主命の国譲りのとき、天穂日命が先陣をきって高天原から派遣された。

 天穂日命が陣を張ったのは湖山池の西岸である。

 大国主命の驕りによって、日本各地が武力闘争に入っていくとき、湖山池周辺から稲葉神社方面は武力闘争に関わらせてはいけない土地であった。
 豊受大神の統治を守るべく天穂日命が高天原から派遣されたのだ。
 天穂日命は3年経ても高天原に復命しなかったと伝えられているが、時勢からみて、この地を離れられなかったのだろう。
 東方面へは、豊受大神の元伊勢の勢力を守る要所であり、海上方面では、能登半島ならびに新潟県糸魚川へ抜ける海路の要所を占めている。
(※)能登半島は世界を統治する上での要所であり、
   新潟県糸魚川の翡翠で、五百津の御統玉(勾璁)を作るため、新潟県糸魚川市は神権には必須地である。

 湖山池の西岸を押さえれば、大国主命の武力の源泉が削がれるはずである。
 つまり、この地を押さえきれば、大国主命の武力勢力の力は失われていく定めになっている場所だった。
 こういう理解に立たないと、国譲りの後処理の中で、天穂日命が出雲大社や出雲の統治をしていく経緯が皆目見当つかなくなってしまうのではないか。
 日本各地の魔軍動乱(中心地は出雲)を鎮圧して4万年経た、今から156万年前の物語であるが、因幡の白兎伝承と天穂日命の神社があることで、湖山池の重要性が際立ってくる。
 つまり、稲葉神社の重要性が際立ってくるのだと思う。

 大国主命が兎とともに祀られるとき、豊受大神の大国主命への願いが込められているに違いない。
兎(うさぎ)」とは、豊受大神の統治がつつがなく行われている時に現れる「豊かさ」の瑞兆をあらわす神獣(しんじゅう)である。
 ダマシと暴力を用いることなく豊かになれますように!