因幡の白兎で有名な白兎神社の南にある天穂日命神社トップページ
拝殿
準備中
ご祭神
天穗日命本殿
準備中
天穂日命は誓約のときに生れた五神のうち二番目の神
祭神の天穂日命は、天照大神と須佐之男命が天の安河原で誓約をした時に生れた五神のうち第二番目に生れた神。
天照大神の第二皇子で、高天原から派遣されたが、大国主命に懐柔され、三年たっても復命しなかった神。 出雲臣、土師連の遠祖にあたる。
天之菩卑能命(あめのほひ)
天津日子根命(あまつひこね)
活津日子根命(いくつこね)
熊野久須卑命(くまのくすひ)
天照大神の第二皇子で、高天原から派遣されたが、大国主命に懐柔され、三年たっても復命しなかった神。 出雲臣、土師連の遠祖にあたる。
(※)天照大神と須佐之男命が誓約をした時に生れた五神とは・・
正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさあかつかちはやひあめのおしほみみ)天之菩卑能命(あめのほひ)
天津日子根命(あまつひこね)
活津日子根命(いくつこね)
熊野久須卑命(くまのくすひ)
天穂日命に関連する神社
白兎神社と天穂日命神社の位置関係
大国主命の国譲りのとき、天穂日命が先陣をきって高天原から派遣された。
天穂日命が陣を張ったのはこの地であろう。
天穂日命神社の東側にある湖山池の重要性は、『湖山長者(こやまちょうじゃ)』という伝承から読み取ることができると思う。
「田植えをその日のうちに終わらせようとして沈む太陽を呼び戻したら、翌日水田が池になった」
この伝承の意味するところは、稲葉大明神(豊受大神)の統治が湖山池周辺にまで及んでいたということを意味しているのだと思う。
大国主命の驕りによって、日本各地が武力闘争に入っていくとき、湖山池周辺から稲葉神社方面は武力闘争に関わらせてはいけない土地であった。
豊受大神の統治を守るべく天穂日命が高天原から派遣されたのだ。
天穂日命は3年経っても高天原に復命しなかったと伝えられているが、時勢からみて、この地を離れられなかったのだろう。
東方面へは、豊受大神の元伊勢の勢力を守る要所であり、海上方面では、能登半島ならびに新潟県糸魚川へ抜ける海路の要所を占めている。
この地を押さえれば、大国主命の力の源泉が削がれるはずである。
つまり、この地を押さえきれば、大国主命の武力勢力の力は失われていく定めになっている場所だった。
こういう理解に立たないと、国譲りの後処理の中で、天穂日命が出雲大社の宮司になっていく経緯が皆目見当つかなくなってしまうのではないか。
結果の立場からみると、天穂日命の最大の使命は、湖山池西岸の死守だったであろう。
因幡の白兎伝承当時、豊受大神の直接統治地である因幡でも、ダマシと暴力によって、まさに豊受大神の統治が失われつつあったのだと思う。
兎がワニをダマシタという点、ワニが兎の毛を剥ぎ取ったという点、これらからダマシと暴力の影響下に世の中が落ち込んでいった状況が歌いこまれていると思う。
こういう状況下で、大国主命は豊受大神の統治がつつがなく行われている時に現れる「豊かさ」の瑞兆をあらわす神獣(しんじゅう)である「兎(うさぎ)」を救ったのだ。
大国主命のダマシと暴力を用いず、豊受大神の統治を完成させることを嘱託されたのだ。
日本各地の魔軍動乱(中心地は出雲)を鎮圧して4万年経た、今から156万年前の物語である。
天穂日命が陣を張ったのはこの地であろう。
天穂日命神社の東側にある湖山池の重要性は、『湖山長者(こやまちょうじゃ)』という伝承から読み取ることができると思う。
「田植えをその日のうちに終わらせようとして沈む太陽を呼び戻したら、翌日水田が池になった」
この伝承の意味するところは、稲葉大明神(豊受大神)の統治が湖山池周辺にまで及んでいたということを意味しているのだと思う。
大国主命の驕りによって、日本各地が武力闘争に入っていくとき、湖山池周辺から稲葉神社方面は武力闘争に関わらせてはいけない土地であった。
豊受大神の統治を守るべく天穂日命が高天原から派遣されたのだ。
天穂日命は3年経っても高天原に復命しなかったと伝えられているが、時勢からみて、この地を離れられなかったのだろう。
東方面へは、豊受大神の元伊勢の勢力を守る要所であり、海上方面では、能登半島ならびに新潟県糸魚川へ抜ける海路の要所を占めている。
この地を押さえれば、大国主命の力の源泉が削がれるはずである。
つまり、この地を押さえきれば、大国主命の武力勢力の力は失われていく定めになっている場所だった。
こういう理解に立たないと、国譲りの後処理の中で、天穂日命が出雲大社の宮司になっていく経緯が皆目見当つかなくなってしまうのではないか。
結果の立場からみると、天穂日命の最大の使命は、湖山池西岸の死守だったであろう。
振り返れば、大国主命が白兎に出会ったのは、この地の北側に当たる白兎海岸であった。
大国主命が出会った「兎(うさぎ)」とは、豊受大神の統治がつつがなく行われている時に現れる「豊かさ」の瑞兆をあらわす神獣(しんじゅう)である。因幡の白兎伝承当時、豊受大神の直接統治地である因幡でも、ダマシと暴力によって、まさに豊受大神の統治が失われつつあったのだと思う。
兎がワニをダマシタという点、ワニが兎の毛を剥ぎ取ったという点、これらからダマシと暴力の影響下に世の中が落ち込んでいった状況が歌いこまれていると思う。
こういう状況下で、大国主命は豊受大神の統治がつつがなく行われている時に現れる「豊かさ」の瑞兆をあらわす神獣(しんじゅう)である「兎(うさぎ)」を救ったのだ。
大国主命のダマシと暴力を用いず、豊受大神の統治を完成させることを嘱託されたのだ。
日本各地の魔軍動乱(中心地は出雲)を鎮圧して4万年経た、今から156万年前の物語である。
白兎神社と天穂日命神社の位置関係
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