和多理神社(わたり)【1】トップページ|鳥取県

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鳥取県八頭郡八頭町郡家殿
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拝殿

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ご祭神


本殿

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「おのころの国成り」の後の神生み〜『ひふみ神示』第6巻日月の巻第30帖

 ここに伊邪那美神(いざなみのかみ)、火の神(→三重県の産田神社)生み給ひて、ひつち(→鳥取県の和多理神社)となり成り給ひて、根の神の中の国に神去り給ひき。

ここに伊邪那岐神(いざなぎのかみ)泣き給ひければ、その涙になりませる神、
 泣沢女神(なきさわめのかみ)、

  ひつちとはこの世風にいえば、粘土のことか?

 土地に本宮というものがあるとしたら、この地がひつちの本宮かも知れなくて、伊邪那岐尊と伊邪那美尊が祀られるのがふさわしいかもしれない。

日理(ひつち)の郷にある和多理神社(わたり)

 八上の日理郷は土師郷の東側のあります。
 これをワタリと読むそうです。
 昭和52年4月の郡家町広報には北川時冶氏の「我が町の文化財」と題して大御門の殿にある和多理神社について記されています。
 そこには、日理は本来、「ひつち」で、大御門に日理(ひつち)という丘があるそうです。
 神社名の和多理は当て字であって、この辺り一帯を日理(ひつち)の郷と呼んでいたそうです。
 式内社である和多理神社は、後醍醐天皇の行宮の地ともなったところですが、元は和多理山=猫山の山頂に祀られていたのを里に移し祀ったものです。
 この神が、隠岐に配流されていた後醍醐天皇に託宣をおろされて、後醍醐天皇は隠岐より脱出され、名和長年に導かれて船上山へしばらく逗留され、一行は京へ向かう途中で託宣を下された和多理神社のある八上に行宮されました。
 現在の祭神は、神功皇后が福岡の大渡島より遷し祀ったとされる猿田彦命となっていますが、もともとは別の神が祀られていた可能性が高そうです。
 本殿には後醍醐天皇御親筆の諾册(ナザナギノミコト・イザナミノミコト)両神の御札が保管されています。

八上神秘の白兎と天照大神伝承―もう一つの因幡の白兎神話』(大江幸久著、星雲社刊)P157 より引用

参考地

 八東町(旧、郡家町〜こおげまち)に白兎神社が3つもあるということはほんの少し前までは、地元住民ですら全く知らないという状態だった。
 (※)特に、私都川(きさいちかわ)沿いに集中しています。

福本の白兎神社(本社)
池田の白兎神社(天寺橋)
土師百井のもと白兎神社

--------------- その外の地域で有名なところは ---------------

白兎海岸の白兎神社(本社)

八上一望マップ

八上一望マップ