波爾布神社(はにふじんじゃ)【3】文献に掲載されている由緒書き|滋賀県

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滋賀県高島市新旭町饗庭3363( いつもNAVIによる広域地図
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文献に掲載されている由緒書き

『全国神社名鑑』(史学センター)に掲載されている由緒書き

 記載ありません。

滋賀県神社庁の上古賀の熊野神社からの引用

 滋賀県神社庁の波爾布神社(はにふじんじゃ)からの引用

 明細書に創祀年代不詳であるが、口碑によると往古より弥都波乃売命を祀っていたが、天平13(741)年に阿波国勝部郡建島女祖命神社(たつしまめおやのみこと)より波爾山比売命を勧請したと伝えられ、饗庭の庄の総社であり、延喜式内波尒布神社これなりとされる。
 聖武天皇の御宇井出左大臣橘諸兄の官田であった時、天平13(741)年神輿1基、神供田2町歩(今に御厨田の小字を残す)を寄附され、後醍醐天王の元弘年度に至るまで当郡北部の大社として隆盛を極めた。
 しかし、元亀天正の兵乱により神田を掠略され、200余年間修理する者無く、社殿等は腐朽し、社頭は衰微した。
 元和10(1624)年、後土御門天皇の聖旨をもって社殿が再建された。
 明治9年郷社に列せられた。
 同26年内務省より保存資金を下附され、同41年神饌幣帛料供進神社に指定された

【参考までに】

建島女祖命神社(たつしまめおやのみこと)は、「阿波國勝部郡」ではなく「阿波國那賀郡」にあたる徳島県小松島市中田町にある。