黄泉比良坂と千引岩戸【1】トップページ|島根県

マピオン地図
島根県八束郡東出雲町大字揖屋

黄泉比良坂と千引の岩戸(千引岩戸)

千引の岩戸(千引岩戸)

千引の岩戸(千引岩戸)
 ここに伊邪那美命 息吹き給ひて千引岩(ちびきいわ)を黄泉比良坂に引き塞(そ)へて、その石なかにして合ひ向ひ立たして つつしみ申し給ひつらく、

 うつくしき吾が那勢命 (なせのみこと)、時廻り来る時あれば、この千引の磐戸、共にあけなんと宣り給へり、

ここに伊邪那岐命しかよけむと宣り給ひき。
 ここに妹(いも)伊邪那美の命、  汝(みまし)の国の人草、日にちひと死(まけ)と申し給ひき。
 伊邪那岐命 宣 り給はく、
 吾は一日(ひとひ)に千五百(ちいほ)生まなむと申し給ひき。
  参照: 「伊邪那岐(伊弉諾)と伊邪那美(伊弉冊)の神生み」より

黄泉比良坂

黄泉比良坂

黄泉比良坂

山桃の木

山桃の木
 伊邪那岐の命、是見(こみ)、畏みてとく帰り給へば、妹伊邪那美命は、よもつしこめを追はしめき、ここに伊邪那岐命 黒髪かつら取り、また湯津々間櫛(ゆつつまぐし)引き かきて、なげ棄(う)て給ひき。
 伊邪那美命 二(つき)の八くさの雷神(いかつちかみ)に黄泉軍(よもついくさ)副(そ)へて追ひ給ひき。
 ここに伊邪那岐命 十挙剣(とづかのつるぎ)抜きて後手 (しりへて)にふきつつさり、三度 黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到り給ひき。坂本なる桃の実一二三(ひふみ)取りて待ち受け給ひしかば、ことごとに逃げ給ひき。
 ここに伊邪那岐命 桃の実に宣り給はく、

 汝 (みまし)吾助けし如、あらゆる青人草の苦瀬(うきせ)になやむことあらば、助けてよと宣り給ひて、また葦原の中津国にあらゆる、うつしき青人草の苦瀬に落ちて苦しまん時に助けてよとのり給ひて、

  おほかむつみの命、

  オオカムツミノ命

 と名付け給ひき。

  参照: 「伊邪那岐(伊弉諾)と伊邪那美(伊弉冊)の神生み」より

比婆山と東出雲町から船通山の地図

 東出雲町に残る伊邪那美尊の黄泉比良坂伝承


 船通山から斐伊川、そして比婆山と東出雲町から船通山の位置関係

船通山から斐伊川、そして比婆山と東出雲町から船通山の位置関係
 平成22(2010)年6月1日(火)から着手していた【地図】船通山の地図の整理が、平成22(2010)年6月6日(日)終了した。

【地図】船通山の地図を整理していて気づいたことは次の3つ。

〔1〕船通山の北側が斐伊川(島根県)の源流にあたる「鳥上の滝」、南側が鳥取県の日野川
  斐伊川(島根県)は八岐大蛇の伝承地を通って宍道湖の西岸から注ぐ。
  日野川は淡道之穂之三別島の「根」にあたりそうな場所から美保湾に注ぐ。
  ひらがなで書くと「ひい」川と「ひの」川となるので相似的な関係にあるのかもしれないと思う。
〔2〕八岐大蛇の伝承地は斐伊川の東岸に集中していて、西岸にはない。
  斐伊川の西岸は清浄な地という認識があった感じだ。
〔3〕斐伊川の南に「伊弉冊」という地名があり、斐伊川の北側に「引那伎」という地名が残る。
  伊弉諾尊と伊弉冊尊の伝承が地名として残されている。
  すごい地帯だと思う。