比婆山の伊邪那美御陵【5】記録に残しておきたいメモ書き|広島県

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広島県庄原市比和町三河内

記録に残しておきたいメモ書き

千引の岩戸

由緒書き
 火の神を生んだことがもとで亡くなった伊邪那美命を追って黄泉の国にやってきた伊邪那岐命は、焼けたたれて醜い姿になった伊邪那美命の姿に驚き、黄泉の国から逃れでた。
 伊邪那美命は怒って八雷神や千五百の黄泉軍を差し向け追撃した。その時、飛び越したのが「飛越岩(とびこしのいわ)」、軍勢を追い払ったのが「越原〜おっはら〜(追っ払)」として、今も地名に残っている。
 最後に大石をはさんで「あなたの人草を日に千人絞め殺す」「それなら一日に千五百の産屋を建てる」と問答をなしたところから千引岩と名が付いたといわれる。
千引岩
↑千引の岩戸
 ここに伊邪那美命 息吹き給ひて千引岩(ちびきいわ)を黄泉比良坂に引き塞(そ)へて、その石なかにして合ひ向ひ立たして つつしみ申し給ひつらく、

 うつくしき吾が那勢命 (なせのみこと)、時廻り来る時あれば、この千引の磐戸、共にあけなんと宣り給へり、

ここに伊邪那岐命しかよけむと宣り給ひき。
 ここに妹(いも)伊邪那美の命、  汝(みまし)の国の人草、日にちひと死(まけ)と申し給ひき。
 伊邪那岐命 宣 り給はく、
 吾は一日(ひとひ)に千五百(ちいほ)生まなむと申し給ひき。
  参照: 「伊邪那岐(伊弉諾)と伊邪那美(伊弉冊)の神生み」より