記録に残しておきたいメモ書き
参考リンク集
平成23(2011)年8月5日(金)、千葉県印西市萩原の鳥見神社と奈良県宇陀市の鳥見神社
「近年発見せる記録は最も面白き事項を記載せり、それは下総国印旛郡小林郷萩原村鳥見神社は、古に宇陀郡萩原より分社せられたるものなる由、同神社社記にありと該社の分社年代及び理由は明らかならずと言えども分社せられたる社記及び現に萩原村鳥見神社の名称を下総の郡に呼称せるはまた奇と云う可し」
特に神八井耳命と縁深い麻賀多神社(台方)との縁もあるので、桜井市の等彌神社並びに宇陀市の鳥見社に行くことなくして成田の家の苦労が無くなることはなかったのだ。
父は平成7(1995)年5月12日に亡くなり、信一おじさんは同年平成7(1995)年12月30日に亡くなっているのだが、お父さんに信一おじさん、成田の家の誰かがこういうことに気づき、やり遂げねばならなかったんだよ。
奈良県宇陀郡史料には次のような記載が残されているらしい。
千葉県印西市萩原(印旛郡本埜村萩原17番)の鳥見神社は、「近年発見せる記録は最も面白き事項を記載せり、それは下総国印旛郡小林郷萩原村鳥見神社は、古に宇陀郡萩原より分社せられたるものなる由、同神社社記にありと該社の分社年代及び理由は明らかならずと言えども分社せられたる社記及び現に萩原村鳥見神社の名称を下総の郡に呼称せるはまた奇と云う可し」
引用:http://www14.plala.or.jp/nikorobin/torimi4.html
どういう因果か、信一おじさんが引っ越していった千葉県印西市小林北は、奈良県宇陀市の鳥見山に深く関わる場所であったし、神八井命の脈絡で見れば、桜井市の鳥見山周辺にも深く関わる場所であった。特に神八井耳命と縁深い麻賀多神社(台方)との縁もあるので、桜井市の等彌神社並びに宇陀市の鳥見社に行くことなくして成田の家の苦労が無くなることはなかったのだ。
父は平成7(1995)年5月12日に亡くなり、信一おじさんは同年平成7(1995)年12月30日に亡くなっているのだが、お父さんに信一おじさん、成田の家の誰かがこういうことに気づき、やり遂げねばならなかったんだよ。
引用先:
伊邪那岐尊が加遇突知命(かぐつちのみこと)を斬った時の「十拳の剱」を洗ったとされる泉。
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