平成23(2011)年8月16日(火)、桜井市での神武天皇の史蹟
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参拝履歴
桜井市鳥見山西麓にあるを祀る等彌神社(とみ)
準備中
等彌神社(とみ)の拝殿
ご祭神
日本大国魂大神八千戈大神
御年大神
等彌神社(とみ)の本殿
天鈴61年(即位4年)、天富命に命じて鴨社を遷し
宇陀市榛原の鳥見山に御祖神(鵜葺屋葺不合尊)を祀る
太玉命の孫に当たる天富命は、神武天皇即位の大礼のとき、三種の神器の受け渡しのとき、道臣命(日の使い)・天田根命(月の使い)とともに、「星の使い」となった。
現・墨坂神社のある天野の地が天富命の邸跡とも伝えられていることを鑑みると、天富命は、神武天皇即位四年春鳥見山中に霊畤(まつりのには)のとき、現在の墨坂神社のある地に住んで、京都から遷座された賀茂社を鳥見の山中に設け(霊畤)、鵜葺屋葺不合尊(御祖神)を祀られたのだろう。
「上小野榛原(かみつおのはりはら)」が現在の「鳥見社」に当たるのであろう。
神武天皇即位四年春鳥見山中に霊畤(まつりのには)のときの「下小野榛原(しもつおのはりはら)という」とあるのは、「神武天皇大和進入」の推定では、「墨坂伝承地」にあたる。
第10代祟神天皇のとき、「墨坂伝承地」に祀られていたものが、天富命の住居であった墨坂神社に祀りかえられたとき、「鳥見社」にあった「上小野榛原(かみつおのはりはら)」も祀りかえられたのかもしれない。
大田種子の記述に従えば、上のようになると思う。
この後、天富命は阿波忌部を率いて千葉県館山市の安房神社のある地に渡り、東国開拓に着手された。
千葉県に神武天皇の母・玉依姫が祀られているところが多く、「鳥見神社」が多いのは、神武即位4年に天富命が宇陀市鳥見山(霊畤)で御祖神を祀られた記憶が多大に影響しているのだと思う。
現・墨坂神社のある天野の地が天富命の邸跡とも伝えられていることを鑑みると、天富命は、神武天皇即位四年春鳥見山中に霊畤(まつりのには)のとき、現在の墨坂神社のある地に住んで、京都から遷座された賀茂社を鳥見の山中に設け(霊畤)、鵜葺屋葺不合尊(御祖神)を祀られたのだろう。
「上小野榛原(かみつおのはりはら)」が現在の「鳥見社」に当たるのであろう。
神武天皇即位四年春鳥見山中に霊畤(まつりのには)のときの「下小野榛原(しもつおのはりはら)という」とあるのは、「神武天皇大和進入」の推定では、「墨坂伝承地」にあたる。
第10代祟神天皇のとき、「墨坂伝承地」に祀られていたものが、天富命の住居であった墨坂神社に祀りかえられたとき、「鳥見社」にあった「上小野榛原(かみつおのはりはら)」も祀りかえられたのかもしれない。
大田種子の記述に従えば、上のようになると思う。
この後、天富命は阿波忌部を率いて千葉県館山市の安房神社のある地に渡り、東国開拓に着手された。
千葉県に神武天皇の母・玉依姫が祀られているところが多く、「鳥見神社」が多いのは、神武即位4年に天富命が宇陀市鳥見山(霊畤)で御祖神を祀られた記憶が多大に影響しているのだと思う。
【3】天鈴58年1月1日、橿原の宮で神武天皇の即位の大礼、11月大嘗ヱ
『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の三十〔天君都鳥の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P263-268 )
今(いま)天君(あまきみ)の | ||
位(くらい)なる | 昔(むかし)は御上天君(みうゑ) |
御上天君とは瓊瓊杵尊のこと。 24紋に 「三種神宝お分けて 授く心は 永く一つに なる由お 紋に印して」〔24−6〕 と天照神から瓊瓊杵尊への三種神器を分けて授けたこた記されている。 |
分(わ)け授(さづ)く | 今(いま)はなきゆえ | 今はその制がないので、という義。 |
その使(つか)ひ | よりて議(はか)れば | |
みな曰(いわ)く | 日(ひ)の神(かみ)使(つか)ひ | |
道臣命(みちおみ)と | 月(つき)の使(つか)ひは | |
天田根命(あたね)なり | 星(ほし)の使(つか)ひは | |
天富命(あめとみ)と | 忌部(いんべ)賜(たま)わり |
神代以来の氏族。 後世、斎部と改められる。 忌は斎戒の意で、神事に携わる伴部であったのでこの名が付けられたとされる。 伊勢、阿波、讃岐、出雲、筑紫などの忌部があって、中央の忌部氏がこれを統括していた。 その祖を天太玉とする。 天太玉命は『秀真伝』では、高皇産霊高杵尊の子。 太玉命の孫とされる天富命は神武天皇に仕え、神物を調え、阿波忌部を率いて東国を拓殖し、安房国に太玉命を奉祀した。 これが今の安房神社とされる。 斎部氏の長である斎部首は、鏡・玉・矛・盾・木綿・麻・宮殿などを造るのを職としていた。 |
禊(みそぎ)なす | 時(とき)に橿原(かしはら) | |
天皇(すめらき)の | 御世(みよ)新玉(あらたま)の | |
鈴サナト | サヤヱ初日(はつひ)の |
天鈴58年。 日数にキアヱ暦を使用しているのはここで初めてみえる。 |
おめでたも | 筑紫(つくし)の例(ため)し | |
可美真手命(うましまち) | 十種(とくさ)捧(ささ)げて | |
天種子命(あめたねこ) | 神代(かみよ)古事(ふること) | |
奉(たてまつ)る | 七草(ななくさ)糝(みそ)も | |
とんど火(ほ)も | 神在(かみあり)粥(かゆ) | 「とんど火」小正月の火祭り。 |
行(おこな)われ | サアヱ日嗣(ひつぎ)と | 正月14日 |
天富命(あめとみ)は | 別雷宮(わけつちみや)の | |
剣(つるぎ)持(も)ち | 天田根命(あたね)は鏡(かがみ) | |
持(も)ち上(のぼ)る |
【6】天鈴61年(即位4年)、天富命に命じて
鴨社を遷し宇陀市榛原の鳥見山に御祖神(鵜葺屋葺不合尊)を祀る
『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の三十〔天君都鳥の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P269-270 )
四穂(よほ)二月(きさら) | ネウエのキナエ | 天鈴61年(神武即位4年)2月 |
勅(みことのり) | 「御祖(みをや)の神(かみ)の | 神武天皇の父・鵜葺屋葺不合尊のこと |
都鳥(みやこどり) | わが身(み)お照(て)らし | |
仇(あだ)平(む)けて | みな治(をさ)むゆえ | |
天富(あめとみ)に | 賀茂社(かも)お遷(うつ)させ | |
御祖神(みをやかみ) | 祭(まつ)る榛原(はりはら) | |
鳥見山(とりみやま) | 天田根(あたね)お賀茂(かも)の | |
建祗命(たけすみ)の | 祭(まつ)り嗣(つ)がせて | |
国造(くにつこ)ぞ」 | 正月(むつき)十一日(そひか)は | 天鈴62年(神武即位5年) |
県主(あがた)召(め)し | 神酒(みき)お賜(たま)はる | |
初(はじ)めなるかな |
参考リンク集
平成23(2011)年8月5日(金)、千葉県印西市萩原の鳥見神社と奈良県宇陀市の鳥見神社
「近年発見せる記録は最も面白き事項を記載せり、それは下総国印旛郡小林郷萩原村鳥見神社は、古に宇陀郡萩原より分社せられたるものなる由、同神社社記にありと該社の分社年代及び理由は明らかならずと言えども分社せられたる社記及び現に萩原村鳥見神社の名称を下総の郡に呼称せるはまた奇と云う可し」
特に神八井耳命と縁深い麻賀多神社(台方)との縁もあるので、桜井市の等彌神社並びに宇陀市の鳥見社に行くことなくして成田の家の苦労が無くなることはなかったのだ。
父は平成7(1995)年5月12日に亡くなり、信一おじさんは同年平成7(1995)年12月30日に亡くなっているのだが、お父さんに信一おじさん、成田の家の誰かがこういうことに気づき、やり遂げねばならなかったんだよ。
奈良県宇陀郡史料には次のような記載が残されているらしい。
千葉県印西市萩原(印旛郡本埜村萩原17番)の鳥見神社は、「近年発見せる記録は最も面白き事項を記載せり、それは下総国印旛郡小林郷萩原村鳥見神社は、古に宇陀郡萩原より分社せられたるものなる由、同神社社記にありと該社の分社年代及び理由は明らかならずと言えども分社せられたる社記及び現に萩原村鳥見神社の名称を下総の郡に呼称せるはまた奇と云う可し」
引用:http://www14.plala.or.jp/nikorobin/torimi4.html
どういう因果か、信一おじさんが引っ越していった千葉県印西市小林北は、奈良県宇陀市の鳥見山に深く関わる場所であったし、神八井命の脈絡で見れば、桜井市の鳥見山周辺にも深く関わる場所であった。特に神八井耳命と縁深い麻賀多神社(台方)との縁もあるので、桜井市の等彌神社並びに宇陀市の鳥見社に行くことなくして成田の家の苦労が無くなることはなかったのだ。
父は平成7(1995)年5月12日に亡くなり、信一おじさんは同年平成7(1995)年12月30日に亡くなっているのだが、お父さんに信一おじさん、成田の家の誰かがこういうことに気づき、やり遂げねばならなかったんだよ。
等彌神社(とみ)の周辺地図
【3】天鈴58年1月1日、橿原の宮で神武天皇の即位の大礼、11月大嘗ヱ
【6】天鈴61年(即位4年)、天富命に命じて鴨社を遷し宇陀市榛原の鳥見山に御祖神(鵜葺屋葺不合尊)を祀る
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