第3代 安寧天皇稜(あんねい)【1】トップページ|奈良県

マピオン地図
奈良県橿原市吉田町( マピオンによる広域地図
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第3代 安寧天皇稜(あんねい)トップページ

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P299-300 )

  三十八年(みそや)サミヱ (※)天鈴207年、サミヱの年
十二月六日(しはすむか) 天皇(すめらぎ)罷る (※)12月6日、70歳で安寧天皇の崩御
若宮(わかみや) 喪衣入(もはい)り四十八日(よそや) (※)若宮(わかみや)とは、
 義仁尊(懿徳天皇)のこと
祝(ほ)ぎもなし 率川(いさかわ)禊(みそぎ)
宮(みや)に出(で)て 政事(まつりごと)聞(き)く
臣(とみ)分けて 乳孔(うきあな)の神
御饗(みあえ)なす 秋(あき)おもむろお
畝傍山(うねびやま) 御陰井(みほど)に送る (※)畝傍山西南、現在の吉田町御陵の位置
歳(とし)七十(ななそ)なり  
時(とき)天鈴(あすず) 二百八穂(ふもやほ)サミト (※)天鈴208年サミトの2月4日
二月(きさら)四日(よか) ネアヱ若宮(わかみや)
歳(とし)三十六(みそむ) 天(あま)つ日嗣(ひつぎ)お (※)36歳で天つ日嗣を引き継ぐ
受(う)け嗣(つ)ぎて 大日本彦(おおやまとひこ)
すき友(すきとも)の 天皇(あめすめらぎ)と
讃(たたえ)えます  

畝傍山周辺にある4代の天皇陵

拝殿

第3代 安寧天皇稜(あんねい)拝殿

ご祭神

【主祭神】第3代 安寧天皇稜(あんねい)

案内板

第3代 安寧天皇稜(あんねい)案内板

第3代 安寧天皇稜の前の道路にある案内標識

第3代 安寧天皇稜(あんねい)案内標識

畝傍山周辺図

 

畝傍山周辺図