沖合に真悉(まふつ)八咫鏡が祀られている二見興玉神社【1】トップページ|三重県

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三重県伊勢市二見町江575( いつもNAVIによる広域地図
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参拝履歴

訪問日:

沖合に真悉(まふつ)八咫鏡が祀られている二見興玉神社の夫婦岩

二見興玉神社の夫婦岩

 伊勢市の二見ヶ浦というのは、『秀真伝(ほつまつたゑ)』の時代に天照神の禊処でした。

 神が人体をもって現れる以前の神代の昔に

 琵琶湖を挟んで素戔嗚命と天照大神の誓約があり、
 その結果、素戔嗚命の乱行と伝えられている場面あり、
 天照大神の岩戸隠れがあり、

 素戔嗚命の追放がありました。

 神が人体をもって現れた『秀真伝(ほつまつたゑ)』の時代の紀元前156万年前に、8年に及ぶ魔軍動乱が発生しました。
 魔軍動乱を鎮めるために、二見が浦の沖合に真悉(まふつ)八咫鏡が据えられました。
 目的は、魂返しを行って、人の拗けをとって真っ直ぐな心になるように導くためです。
 今から6万年前、天照神が神上がられてから猿田彦大神がその禊処を守って来られたため、現在のような祭神構成になっているのだろうと思われます。
「二見」という呼び方は、仮の姿と本性との二つの姿を見分ける「真悉(まふつ)八咫鏡」にちなむものです。

夫婦岩の沖合にある神石(干潮時に見えることがある) 〜 真悉(まふつ)八咫鏡

二見興玉神社の夫婦岩の神石
画像の引用先:http://futamimarche.jugem.jp/?eid=65

『秀真伝(ほつまつたゑ)』の記述では、「真悉(まふつ)八咫鏡」である。

 平成26年9月8-9日(月-火)に、こうやって整理して沖合を見ると、「真悉(まふつ)八咫鏡」はもう動き始めているんですね。
 いつ動き始めたのか?
 と問うと、
 おそらく平成26年8月30-31日(土-日)をキッカケに9月に入ってからだろうと思われます。

 感無量です。

 平成25(2013)年には第62回伊勢神宮式年遷宮が行われました。
 平成25(2013)年10月2日(水)に内宮遷御と10月5日(土)に外宮遷御。
 平成26(2014)年11月22日(土)に伊雑宮のお白石行事が行われ、
 平成26(2014)年11月28日(金)に伊雑宮の遷座が行われる。
 伊勢神宮内宮は天照皇太御神様の御座所なので、時が来たら、天照大御神様は伊雑宮にお移りになられるものと信じられてきました。
 ついに、その時がやってきたのかも知れません。

 平成26年9月9日(火)に成田亨記す。

二見興玉神社の拝殿

二見興玉神社の拝殿

ご祭神

猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
宇迦御魂大神(うがのみたまのおおかみ)
綿津見大神(わたつみのおおかみ)竜宮社

岩戸開きの後、8年に及ぶ魔軍動乱

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の八〔魂返しハタレ討つ紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P414-461 )
大御神(ををんかみ) 天(あめ)が下照る 天照神のこと。
奇(く)し日霊(ひる)に 民(たみ)も豊(ゆた)かに  
二十三万(ふそみよろ) 二千三百八十(みちみもやそ)の 天照神誕生より三鈴八百七十三枝の2年キアト
二歳(ふたとし)お 経ても靖(やす)らや  
御形(みかたち)も なお若やぎて  
御座(をわ)します 今年(ことし)二十四(ふそよ)の  
折鈴(さくすず)お 二十五(ふそゐ)の鈴(すず)に 紀元前300万年前の大濡煮命から数えて144万1年目。
紀元前1,560,717年
植ゑ替えて 節(ふし)に当れば 天体の運行の節目、暦の上での節目を狙って邪悪な者・魔が活動する。
根(ね)の国と 細矛(さほこ)の国の 「根」は北陸地方。「細矛」は山陰地方。
益人(ますひと)が 内(うち)の白人(しらひと)  
胡久美(こくみ)らが 親(おや)も犯(おか)して  
子(こ)も犯(おか)す 咎(とが)過(あやま)ちも  
二女殿(ふためとの) 賢処(かしこどころ)の 北の局の持子と早子。「賢処」東西南北の局の総称と考えられる。
引きづりに 許(ゆる)せば抱ゑ  
国(くに)お治(た)す 賄賂(まいない)掴(つか)み  
忠(まめ)ならず つひに大蛇(おろち)に  
舐(なめ)られて 法(のり)の崩(くづ)るる  
節々(ふしぶし)に ハタレの者(もの)の 動詞「徴(はた)る」の名詞形と考えられる。「徴(はた)る」は責め促す、催促するなどの意。動物霊の霊力を備え、庶民を先導して宮中を危ういものにせんと目論む。
蠢(うぐめ)きて 五月蠅(さばい)の声(こゑ)の 『日本書紀』「神代下」天孫降臨章の「葦原中国」の説明部分に「彼の地に、多に蛍火の光く神、及び蠅声す邪しき神有り。復草木咸に能く言語有り」と記されている。「五月蠅」は陰暦5月頃むらがり騒ぐ蠅のこと。「五月蠅なす」は「さわぐ」「沸く」「あらぶる」などに掛る枕詞となっている。『三笠紀』残篇「嘗事の紋」に「サッサは岩田帯、法は五五」(み七−四)とあり、のちに出る「サツサツヅ歌」(本紋註63参照)が悪魔祓いの神歌であること、それが5月5日の菖蒲の祭りと腹帯に関係することなど、ハタレの活動と、5月という季節的な関係も考えられる。
恐(おそ)ろしく 菊沢山(ここさわやま)の 「菊沢山」は未詳。
速雉子(はやきぎす) 梭投(ひな)ぐる告(つ)げの  
高天原(たかま)には 神議(かみはか)りして  
進み出る 武甕槌命(たけみかつち)が  
十六丈の 万(よろ)に勝(すぐ)るる  
力(ちから)にも 知らぬハタレの  
訝(いぶか)さお 討(う)つや左(ひだり)の  
金折命(かなさき)も 答ゑお知らで  
伺(うかが)ゑば 天照らします  
勅(みことのり) 「やや知る真(まこと)  
ハタレとは 天(あめ)にも居(お)らず  
神ならず 人の拗(ねぢ)けの  
鋭勝(ときすぐ)れ 凝り得て六つの 「鋭」は鋭い頭脳、ずるがしこい能力のこと。ハタレは鋭い能力に勝るが、人としての情緒に欠けている。
ハタレなす 錦大蛇(にしきおろち)の (1)シム道とは、錦大蛇。
 金折命が制圧。
シム道や ハルナハハ道 (2)ハルナハハ道とは、鵺(ぬゑ)アシモチ。
「ハハ」、『古語拾遺』に「古語、大蛇を羽羽(ハハ)と謂ふ」と見える。
天照神が日高見に行幸の折、ハルナを榛名山の近くの山田で制圧(手力男命)。
ヰソラ道 乱るキク道 (3)ヰソラ道とは、咬(みづち)
 根国の立山に現れたが、経津主命が制圧。
(4)キク道とは、狐(きつね)。
 ヲガ(兄彦)・メガ(中彦)・フスベ(弟彦)の3ハタレを荷田命が制圧。
 ヲガ(兄彦)は群馬県の山田におき、メガ(中彦)は山背(やましろ)の花山、フスベ(弟彦)は東の飛鳥野辺。
ヰヅナ道 鳴る神求む (5)ヰヅナ道とは、形は猿(さる)、顔は犬。
 伊予の山より紀志伊国に攻めてきたのを武甕槌命が制圧。

 天照神が、兵主命・経津主命・武甕槌命に「猿去る沢」(猿の血脈を魂返しにより取り去ったので猿去る沢と称した。興福寺南門前にある猿沢の池のこと)で魂返しを行わせた。 「鳴る神」とは、雷のこと。
アヱの道 みなその血脈(しむ)お (6)アヱの道とは、天狗(てんぐ)。
 天狗は深山に棲息するという想像上の怪物で、人の形をし、顔赤く、鼻高く、翼あり神通力を持つとされる。
 大阪府南河内郡の金剛山の麓にある「千早」という場所で伊吹戸主命が制圧。
抜き取りて 術(わざ)に燃え尽(つ)く 妖術により人の目を眩し、心は奢り高ぶるが、自らの身も滅ぼす。
奢(おご)り火の 日々に三度(みたび)の  
悩(なや)みあり 如何(いか)で恐れん  
神力(かんちから) 祓い除(のぞ)かば  
自ずから ハハもイソラも  
寄り返し 射る矢も受けず  
神の矢は 必ず当たる  
ハタレ身の 術(わざ)や顕(あら)はす」  
     

真悉(まふつ)八咫鏡による魂返し

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の八〔魂返しハタレ討つ紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P414-461 )
千々拝(ちぢをが)む 全て七マス    
九千人みな 人なる法(のり)の  
御鏡(みかがみ) 瀬織津姫の 「御鏡」とは、真悉(まふつ)八咫鏡のこと。
持ち出でて のちのハタレの  
人となる 真悉(まふつ)の鏡(かがみ)  
見るために 二見の岩と 「二見」とは、仮の姿と本性との二つの姿を見分ける鏡にちなみ二見の岩と讃えたのです。
名付けます 代々(よよ)荒潮(あらしほ)の  
八百会(やもあ)ひに 浸(ひた)せど錆(さび)ぬ  
神鏡(かんかがみ) 今(いま)永(なが)らえり  
高野山(たかの)には 化け物出でて  
伊吹戸主(いぶきぬし) 宮お建(た)つれば  
鎮(しづ)まるに 璽(をしで)賜(たま)わる  
高野神(たかのかみ) また金折命(かなさき)は 和歌山県丹生都比売神社が鎮座し、その第二殿に高野御子神を祀る。主祭神は丹生都比売命で地主神とされている。空海が高野山に金剛峰寺を営むに当たり、鎮護神として崇め祀った。
住吉(すみよろし) 神(かみ)の璽(をしで)と  
御衣(みは)の裾緒(そを) 賜(たま)ふ「筑紫(つくし)の  
民(たみ)すべて 結(ゆ)い治(をさ)むべし  
わが代わり」 また経津主命(ふつぬし)は  
「香久山(かぐやま)お 掌(つかさど)れ」とて 経津主命が「香久山」を司ったことにより、「香取神」の称号を賜った。
香取神(かとりかみ) 武甕槌命(たけみかつち)は  
鳴る神に 武物主(たけものいぬし)の  
頭槌剣(かぶつち)と 先の国絵(くにゑ)に  
震(ゆ)り鎮(しず)む 要石槌剣(かなめいしつち)も 武甕槌命は、天照神が先に伊雑宮に遷宮した時、全国の国絵を製作し天照神に奉った功により、要石槌剣(かなめいしつちのつるぎ)も賜った。
賜(たま)ふなり 兵主命(つわものぬし)が  
魂返(たまかえ)し 清(きよ)き真(まこと)の  
花(はな)振(ふ)りて 道(みち)に天(あ)もなし  
磯城県(しきあがた) 天為(あな)し大神 奈良県桜井市穴師にある「穴師坐兵主神社」のこと。
璽(をして)添(そ)え 据(す)ゑて移(うつ)し日(ひ)  
神祖父(かんをぢ)ぞ 市千魂命(いちぢ)が撰(ゑら)む  
魂返(たまかえ)し 心清瓊(ここすと)の根緒(ねを)  
結(むす)ぶ文(ふみ) 心瓊産霊命(こことむすび)の  
名(な)に据(す)ゑて 春日殿(かすがとの)とぞ 兵主命が「心瓊産霊命(こことむすび)」、「春日殿(かすがとの)」と讃えられたことが書かれている。
貴(たふと)ませ    

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