記録に残しておきたいメモ書き
妻が泣きながら書いた座敷わらしの絵
PDFにしてあります。
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大事にしてくださいね。)
緑風荘での私の直感
岩手県には
一戸、二戸、
九戸、十戸(遠野という説がある)があり、
青森県には
三戸、四戸(現在は欠けている)、五戸、六戸、七戸、八戸がある。全てが、南部藩の地名である。
一から十の数の戸が置かれているところに座敷わらしの伝承が強く残っているのが印象深い。閉められようとしている岩戸が、「数」のために閉め切れずに、神世の「気」がボコボコわきあがってきているような気がする。
テレビで報道されているようなものであれば行くまでもないと思っていたが、行ってみて認識を改めた。
160万年前の魔軍伝承の流れとは、全く違ったものだと思う。
岩戸に関わるがゆえに、人の「心」に作用しやすいのだろう。
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緑風荘の歴史は遠く650年前までさかのぼる。五日市家の先祖は万里小路(までのこうじ)藤原藤房といい後醍醐天皇に仕えた公家だった。
南北朝の乱で足利尊氏に敗れたために、この地まで落のびてきた。
藤房には幼い息子が2人いた。
長男の亀麿はここ金田一で病を得て、わずか6歳で世を去る。
以来、亀麿はこの家の守り神となり、座敷わらしとなって姿を現すようになったと伝わっている。
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上は緑風荘の説明です。なぜ南部藩に座敷わらしの足跡が多いか?
数と光透場(ことば)の世界↓
光と音の世界
↓
この世
光と音の世界の前の世界、つまり数と光透場(ことば)の世界が馬渕川流域や、北上川の源流にあるのかもしれない。数と光透場(ことば)の根源に通ずる「戸」がおかれている地域であるがゆえに、石川啄木、宮沢賢治、金田一京助のような方たちを輩出したのかもしれない。
著名な数学者が出ていれば、私の推論も完璧か?
緑風荘での直感
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