西金砂神社(にしかなさ) 〜 国常立尊の御尊骸を納めたと思われる
参拝履歴
訪問日:平成9(1997)年2月3日(月)
訪問日:平成9(1997)年11月。
訪問日:平成10(1998)年4月。
訪問日:平成24(2012)年3月11日(日)。
訪問日:平成24(2012)年8月17日(金)。
訪問日:平成9(1997)年11月。
訪問日:平成10(1998)年4月。
訪問日:平成24(2012)年3月11日(日)。
訪問日:平成24(2012)年8月17日(金)。
西金砂神社に初めて参拝したのは、平成9(1997)年2月3日(月)のことだった
平成9(1997)年1月下旬、1月30日(木)の夜のことだったと思う。
私の隣で寝ている妻が急に起きて、私を揺り起こして、
「お父さん、地図もって来て」
という。
「赤土という名の大事な場所があるらしいのよ」
夢の内容は覚えていないが、夢では関東近辺の「赤土」という場所だという。
「お父さんは、その場所には行かなければならない感じなのよ」
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「この2つの神社のどちらかだろう」
「夢で見た場所の位置だと、西金砂神社だと思う」
と女房はいう。
次の平成9(1997)年2月3日(月)が節分にあたっているので、節分の祝詞を奏上するために西金砂神社を参拝することにした。
平成9(1997)年2月2日(日)の店の勤務を終え、月曜勤務の休みを取って、茨城県常陸太田市に向けてカローラを走らせた。
茨城県常陸太田市の「赤土」に車(カローラ)が入ると、遠くから、
「お〜〜い!お〜〜い!」「こっちじゃ!こっちじゃ!」
と呼びかけてくれる声がする。
西金砂神社に向けて車を走らせると、日本昔話の「おむすびコロリ」に出てくるような里だ。
のどかでとてもいい里だ。
車で西金砂山に登っていくと、狭い車道を鹿が横切って行った。
西金砂神社の駐車場に着き、神社の方に歩いた。
「よく来てくださった」
「お前さんたちに頼みたいことがあっての」
「この場所は、日本の中でワシが一番好きなところでの」
「この場所が海に沈むのが一番心残りじゃ」
「この場所が海に沈まんように、お前さんたちからも神様にお願いしてくれんか」
私は戸惑った。
神社の御祭神から、「西金砂山が海に沈まないように神様にお願いしてくれんか」
とお願いされるとは思いもよらなかったからだ。
神社の由緒書を見ると、大己貴命と国常立命と少彦名命を祀られているが、声の質調から大国主命(大己貴命)だろうと思った。
「大国主命(大己貴命)なのですか」
と問うと「お〜」
「ワシのことを覚えておいて下さったか」
という。
「まず祝詞を奏上させてください」「お〜!ワシのために祝詞をあげてくださるか」
「かたじけない、かたじけない」
「こちらじゃ、こちらじゃ」
と山頂の神社へ道案内に立ってくださった。
木の根がむき出しになり、切り株状になったところを通り、山頂への急な石段を登った。
山頂に到着すると、パノラマがひらけている。
この西金砂山は、北で富士山を望める最北端の山だという。
「まだ、十数年という時が残されているので、1995年のときのように、やり遂げられかもしれない」
と漠然と思った。
平成9(1997)年2月3日(月)を経てからも、日本各地を周ってきた。その結果、「大国主命(大己貴命)」についても深く知るようになった。
社伝も学んだし伝承も学んだし神話も学んだ。
そういうものの背後に隠れている事柄を知るために、科学も学んできた。
その結果、太平洋側のプレートの地質学的なエネルギーが、中央構造線〜「棚倉構造線」の地質学的なエネルギーに集約されて、「天之岩戸開き」に必要なエネルーギに使われる可能性に到達した。
また、日本各地を周って、「怒りと憎しみ」や「妬みや恨み」という人の感情の物質レベルの根源を探ってきた。
この探査の過程で、九頭龍や高龗神についての考察も深くなった。
→「高龗神(たかおかみのかみ)とはどういう神なのか? 」
→「平泉寺白山神社に伝わる九頭龍」
→「福井県の九頭龍」
→「持子の九頭龍」
「怒りと憎しみ」の発生過程や、「妬みや恨み」の発生過程が、九頭龍や高龗神の発生過程と重なることを論理的に説明出来るようにはなった。しかし、「怒りと憎しみ」の発生や「妬みや恨み」の発生の論理性をどのようにしたら転換することが出来るのかという点をつかみ切れないでいた。
思い余って、平成22(2010)年12月5日(日)、私が発行しているメルマガの読者さんにSOSを発し、助言を求めた。
→「平成22(2010)年12月5日(日)大国主命(大己貴命)からの要請」
しかし、助言は全くなかった。
この結果を踏まえて、私は大国主命に謝った。
「平成9(1997)年2月3日(月)から十数年という時間を頂戴したにも関わらず、出来そうにありません」
と。
理屈はわかっている。
だからその論理性をメルマガでも公表できていた。
しかし、肝心要の
「地質学的エネルギーの部分を、どうしたら心という物質のエネルギーに転換しうるか」
が全く判らなかった。
メルマガを発行した平成22(2010)年12月5日(日)から約3ヵ月後の平成23(2011)年3月11日(金)午後14時46分、東日本大震災が発生した。
「 死者 15,867人、行方不明者 2,906人、負傷者 6,109人 」(2012年8月15日現在)
という被災状況だった。
一年後、平成24(2012)年3月11日(日)に鎮魂を兼ねて西金砂神社の参拝させていただいた。
その時、西金砂神社の境内地に「3月11日」と刻まれた碑を発見した。「3月11日」とは、西金砂神社の創建記念日だったのだ。
実に判りやすい!
大国主命からの要請に応えきれず、私の責任を放棄したがゆえに、
「人が出来ぬのであれば・・」
・・と、大地が揺れたのだと思った。
しかも、西金砂神社(にしかなさ)御鎮座1200年祭が執り行われた平成18(2006)年とは、私が『人生秘中の奥義書』を発表するに当たって非常に苦心していた時期だった。続きはこちら→
西金砂神社(にしかなさ)の本殿
ご祭神
大己貴命国常立命
少彦名命
西金砂神社(にしかなさ)の拝殿
西金砂神社・東金砂神社の御神紋
西金砂神社(にしかなさ)の社務所と最初の石段
西金砂神社(にしかなさ)の地図
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