御機の七〔遺し文祥禍お立つ紋〕【1】ここだけは紹介しておきたい!|『秀真伝(ほつまつたゑ)』

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御機の七「遺し文祥禍お立つ」紋

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御機の七「遺し文祥禍お立つ」紋の概略

【1】白人・胡久美の悪行と審議

白人・胡久美

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の七「遺し文祥禍お立つ」紋(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P369-373 )

諸神(もろかみ)の 祥禍(さが)お立(た)つとき 」は「」、は「」「」「」などの義。ここでは物事の善悪にともなう法を立てることの意。23紋に「機(はた)の道」として詳しい。
細矛国(さほこ)より 兵主命(つわものぬし)が  
香久宮(かぐみや)に 雉子(きぎす)飛(と)ばせて 香久宮とは天照神の坐す伊雑宮の南殿のこと。橘を植え香具宮と称える。
「益人(ますひと)が (たみ)のサシミ女 ここの「益人」とは伊弉諾尊の弟で根の国(北陸)の益人・椋杵命(くらきねのみこと)のこと
妻(つま)となす 椋子姫(くらひめ)生めば ここの「益人」とは伊弉諾尊の弟で根の国(北陸)の益人・椋杵命(くらきねのみこと)のこと
慈(いつく)しみ 兄(あに)の胡久美(こくみ)お  
子(こ)のごとく 細矛(さほこ)千足国(ちたる)の 胡久美が細矛千足国の益人
益人(ますひと)や 今は添えなり 役職を怠っていたので今は「添え」に格下げされたという意味。
椋杵命(くらきね)が 罷(まか)れるときに  
白人(しらひと)お 根国(ね)の益人(ますひと)に 白人は、椋子姫を娶って根の国(北陸)の益人になる。
椋子姫(くらこひめ) 身(み)お立山(たてやま)に  
納(おさ)むのち 母子(ははこ)お捨(す)てて サシミ女椋子姫
津(つ)に送る 胡久美(こくみ)母子(ははこ)お 「津」は京都府宮津のことか。
胡久美はサシミ女の兄であり、椋子姫の伯父にあたる。
犯(おか)す罪 神狭日命(かんさひ)これお 「神狭日命」は、八十杵尊(神皇産霊)の弟。
6紋に「千足国 道お定めて 治むのち 八十杵尊の弟 神狭日命お 益人となし」〔6-8〕とみえる。
糾(ただ)さねば 臣(とみ)これお請ふ」 兵主命
御機(みはた)より 清雄鹿(さおしか)に召す 「御機」とは政事の中枢。伊雑宮をさすか高天原をさすか判断しがたい。
「清雄鹿」とは勅使のこと。
神狭日命と 胡久美(こくみ)母子(ははこ)と  
高天原(たかま)にて 金析命(かなさき)問わく 日高見の高天原
胡久美(こくみ)いふ 「サシ女は真(まこと)  
わが妻よ 君(きみ)去(さ)りますの 椋杵命からの離縁状
璽(おしで)あり」 また問(と)ふ「汝(なんじ)  
何人(なのびと)ぞ」 「民(たみ)」といふにぞ  
雄叫(おたけ)びて 「獣(けもの)に劣(おと)る  
罪人(つみびと)ぞ サシ女(め)捧(ささ)ぐる  
縁(ゆかり)にて 益人(ますひと)となる  
御恵(みめぐ)みの 君(きみ)なり母(はは)よ  
祥禍(さが)見れば 君(きみ)お忘(わす)るる  
百(もも)暗(くら) 母(はは)も二十暗(ふそくら)  
犯(おか)するも 璽(おしで)の恥(はぢ)も  
百(もも)と百(もも) 姫(ひめ)蔑(ないがしろ)  
五十暗(ゐそくら)と すべて三百七十暗(みもなそ)  
天巡(あまめぐ)り 三百六十度(みもむそたび)お  
瓊矛法(とほこのり) 処(ところ)お去(さ)ると  
流浪(さすら)ふと 交(まじ)はり去(さ)ると  
命(いのち)去(さ)る 四つ割り過ぎて  
綻(ほころ)び」と 獄舎(つつが)に入れて 「ツツ」は「筒」「包む」に通じ、「ガ」は「禍」のことであろう。「禍」を押し込め包み込む所の義。
根の国の 白人(しらひと)お召(め)す  
高天原(たかま)にて 金析命(かなさき)問(と)わく  
「母(はは)お捨(す)て 妻(つま)去(さ)る如何(いかん)」  
答えいふ 「己(おのれ)は去らず  
母(はは)よりぞ 家(ゐゑ)捨(す)て出(い)づる  
姫(ひめ)もまま」 またもとお問(と)ふ  
答えいふ 「代々の臣(とみ)ゆえ  
子となせり 母は民の女(め)  
進めてぞ 君の妻なり  
御恵(をんめぐ)み 何(なに)忘(わす)れん」と  
ゐゐ流(なが)す 神皇産霊尊(かんみむすび)の  
叱(しか)りてぞ 「汝(なんじ)飾(かざ)りて  
惑(まど)わすや われよく知(し)れり  
友(とも)お越(こ)ゑ 力(ちから)お貸(か)して  
母(はは)が挙(あ)げ 政(まつり)授(さづ)けて 母のサシミ女の推挙により、白人が根の国の益人の官職を得、さらにサシミ女の子である椋子姫の夫になったこと。
子となすお 母(はは)に慕(した)えば 白人は、母のサシミ女に横恋慕。
姫(ひめ)が倦(う)む 隠(かく)さんために 姫が嫌がったので、それを隠すために
流(なが)しやり 民(たみ)の目(め)奪(うば)ひ 宮津に流す
チカラ掠(か)す 恵(めぐみ)忘(わす)るる 民の稲を掠め取ること。「チカラ」は稲のことと思える。
二百暗(ふももくら) 去るも百暗(ももくら)  
踏むが五十暗(ゐそ) 握(つか)むの六十暗(むそ)で  
四百十暗(よもそくら) これ逃(のが)るるや」  
答(こた)えねば 獄舎(つつが)に入れて  

【2】八十杵尊が根国の国神に、そして白人・胡久美を助ける持子

白人・胡久美

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の七「遺し文祥禍お立つ」紋(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P373-373 )

大御神(ををんかみ) 諸(もろ)と議(はか)りて  
「八十杵尊(やそきね)お 根国(ね)の国神(くにかみ)と  
伊弉諾尊(いざなぎ)の 産屋(うぶや)に伯父(をぢ)と 「産屋」とは、伊弉諾尊・伊弉冉尊とそれぞれ同じ母から生まれたという意味であろう。
八十杵尊は伊弉冉尊の兄であり、白山姫は伊弉諾尊の妹にあたる。
伯母(おば)なれば 政(まつり)絶(た)ゑず」と  
勅(みことのり) 以(もち)て民(たみ)治(た)す  
伯父(おぢ)と伯母(おば) 白山神(しらやまかみ)ぞ 石川県白山市三宮町二-105-1 に白山比盗_社がある。祭神は菊理媛神と伊弉諾尊、伊弉冉尊。延喜式内社で加賀一之宮。本社は白山の山頂に鎮座する。
伊弉諾尊(いざなぎ)は 祭れど弟(おと)の  
椋杵命(くらきね)は 祭らず持子が 白人胡久美を配下に置くための持子の策略。
椋子姫(くらこひめ)お 神狭日命(かんさひ)の子の  
天押日命(あめおしひ) 娶(めあわ)せ典侍(すけ)が  
兄(あに)となし 父(ちち)益人(ますひと)の 天押日命は持子の兄の立場になった
政(まつり)嗣(つ)ぐ 白人(しらひと)胡久美(こくみ)  
この祝(いわ)ひ 半(なか)ば祥(さ)お得(ゑ)て 椋子姫を天押日命に嫁がせて、神狭日命の益人の職務を天押日命に嗣がせることによって白人胡久美の罪を半減させた。
流浪(さすら)ひの 簸川(ひかわ)にやるお  
益人(ますひと)の わが臣(とみ)となす 「益人」、細矛千足国の益人であった神狭日命の子の天押日命のこと。
 大蛇の本性をもつ持子姫は、宮中に対し敵意を抱いていた。その謀計の一貫として天押日命の下、邪心に満ちた白人、胡久美らの計略により、六ハタレの大魔軍が、宮中を脅かさんと八年間の大反乱を引き起こす。
  8紋に「二女殿 賢処の 引きづりに 許せば抱ゑ 国お治す 賄賂摑み 忠ならず ついに大蛇に舐められて 法の崩るる 節々に ハタレの者の 蠢きて」〔8-2・3〕と記す

【3】素戔嗚命、速吸姫を見初めるが宮がない・・、両名の休みに素戔嗚尊が剣を

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の七「遺し文祥禍お立つ」紋(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P374-375 )

素戔嗚尊(そさのを)は これ整(ととの)ひて 天押日命が父の神狭日命の益人としての役職を嗣いだときの行政を整える。
真名井(まなゐ)なる 神(かみ)に詣(まふ)でる 朝日宮の朝日神(豊受神)に詣でるということ
その中に 手弱女(たおやめ)あれば  
これを問ふ マカたち答ふ 「マカ」小笠原通當の『秀真政伝』では、速吸姫の侍従女のこととしている。
赤土命(あかつち)が 速吸姫(はやすふひめ)と  
聞(き)こし召(め)し 雉子(きじ)お飛(と)ばせて  
父に請(こ)ふ 赤土宮(あかつちみや)に 赤土命の娘の速吸姫とご結婚しようとしたが、いまだご自分の宮がない、ということ。
嫁(とつ)がんと いえど宮(みや)なく  
大内宮(ををうち)の 折々(おりおり)宿(やど)る 「大内宮」伊雑宮の東殿。
本紋〔7-22〕に「流浪男の 陰のミヤビの 過ちお」とあり、早子の娘の三女神がその過ちを晴らさんと、自ら流浪したことから、素戔嗚尊が早子と密情を交わしていたとも取れる箇所だ。
しかし天之誓約で素戔嗚尊は身の潔白を誓っている〔7-21〕ので、その辺の事情をどう汲み取るかで物語の解釈が大きく異なってくる。
北(ね)の局(つぼね) 姉妹(ゑと)休めとて 持子・早子の姉妹のこと
大内宮(うちみや)の 豊姫(とよひめ)召(め)せば  6紋に「豊姫は 北の内侍にて」〔6-11〕とあり、豊姫が西の御下から北の内侍に昇格し、持子早子姉妹は休みを申し渡されたことがわかる。
 豊姫は、宗像命の娘であり〔6-2〕、熊野楠日尊の母である〔6-11〕。
北(ね)の局(つぼね) 下(さが)り嘆(なげ)けば 持子と早子は、北の局から下がって嘆いた
素戔嗚尊(そさのお)が 堪(た)ゑかねてぞ  
剣(つるぎ)持(も)ち 行(ゆ)くお早子(はやこ)が  
押(お)し止(とど)め 「功(いさおし)ならば  28紋に「内宮 内瀬織津姫が 御后に なるお持子が 殺さんと 妬めば早子は 君を強い 弟君請えど 顕はれて」〔28-31〕とあり、持子は瀬織津姫が中宮に昇格し天照神の寵愛をうけているのを妬んでいたことがわかる。
 また早子は、素戔嗚尊に対し、天位を掠奪するようにそそのかしたこともわかる。
 「天が下」とは天位のこと。
天(あめ)が下(した)」 花子姫(はなこ)来(きた)れば  
穂(ほ)お隠(かく)す 見(み)ぬ顔(かほ)すれど  槍などの先端の部分を「穂」という。
 また、思っていることが外へ現れることを「穂」というので、素戔嗚尊の殺気ともとれる。
内宮(うち)に告(つ)げ   瀬織津姫の妹の花子姫は、このこと瀬織津姫に告げる

【4】持子早子に筑紫蟄居の命、両名は二荒浪姫(ふたさすらひめ)となって大蛇に

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の七「遺し文祥禍お立つ」紋(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P375-376 )

  ある日高天原(たかま)の 天照神の日高見行幸のこと。
伊雑宮に坐す天照神も、遠い日高見(宮城県)までも行幸していることがわかる。
行幸(みゆき)あと 持子早子お  
内宮(うち)に召(め)す 日(ひ)に向津姫(むかつひめ)  
曰(のたま)ふは 「汝(なんじ)ら姉妹(ゑと)が  
御笥飯(みけひ)得(ゑ)て 筑紫(つくし)にやれば  27紋に「笥飯の神 ゆえは翁に 笥飯を得て」〔27-10〕とあり、小笠原通當は「笥飯」の字をあてる。「笥」は「箱」の義であるから「笥」とは弁当のことか。
 ここでは、食いぶちを得て、という義か。
 ちなみに「笥飯」は福井県敦賀市の古称でもあり、歌枕としても使われる。
 本居宣長は「ケヒ」の音義を「食霊(ケヒ)」の義とするが、『日本古語辞典』によれば「笥飯(はこいい)」の意とされている。
噤(つぐ)み居(お)れ 棚杵尊は取る 持子が生んだ穂日尊
男(を)は父(ちち)に 女(め)は母に付く  
三姫子(みひめこ)も ともに降(くだ)りて  
養(ひた)しませ 必(かなら)ず待(ま)てよ  
時(とき)あり」と 宜(む)べ懇(ねんご)ろに 「宜べ」はあとにくる事柄を当然だとしたり、満足して得心したりする意を表す。
「懇ろ」は心をこめての意、あるいは手あつい様。
本来ならば君に告げ、両名は死罪は免れないところ、中宮瀬織津姫の厚情により、持子早子は救われる。
悟(さと)されて 筑紫(つくし)赤土命(あかつち)  28紋に「ともに流浪ふ 赤土命が 娘お弟君に ちなむおば 早子が大蛇に 噛み殺す」〔28-31〕とある。
 先に素戔嗚尊が、赤土命の娘速吸姫に婚姻を申込んだのを妬んだ早子は八岐大蛇と化し速吸姫を殺す。
 そののち赤土命の弟である佐太の村長をしていた脚摩乳命の娘を7人噛み殺している。
これお受け 宇佐(うさ)の宮居(みやゐ)お  
改(あらた)めて 持子(もちこ)早子(はやこ)は  
新局(あらつぼね) 置けば怒りて  
養(ひた)しせず 内宮(うち)に告(つ)ぐれば  
豊姫(とよひめ) 養(ひた)しまつらし  6紋に「八百会子(やもあいこ) 西の典侍(すけ)内侍(うち)は 宗像命が 織機姫筬子(おさこ) 御下女は 豊姫(とよひめ)紋子(あやこ)」〔6-2〕とあることから、豊姫は、宗像命の娘であることがわかる〔6-2〕。
 宗像命の娘豊姫は持子早子姉妹が休みを言い渡されて後、北の内侍(うちめ)になる。そして、北の内侍になってから熊野楠日尊を生む〔6-11〕。
 その豊姫に三女神養育の命が下ったので、実家の宗像大社で三女神を養育されたのであろうか?
荒浪(さすら)なす 二荒浪姫(ふたさすらひめ)  
憤(いきどほ)り 簸川(ひかは)に怒り  大蛇に関する本書の記述をみると、25紋に「これ大蛇あり 国神の 姫お呑むゆえ みな焼けば 逃げて簸川に 斬られける」〔25-4〕とある。
 これは瓊々杵尊が安芸国に行幸したときの村長の話である。
 国神とは赤土命のこと。
 「みな焼けば」とは大蛇がいたので山の木をみな焼いたこと。
 「斬られける」とは素戔嗚尊に斬られたことをさす。
 9紋には「眠る大蛇お ずたに斬る 羽々が尾先に 剣あり」〔9-5〕とみえ、大蛇が実体のある生物のごとく描かれている。
 また16紋に「女は一途に 思えども 妬み煩ふ 胸の火ぞ 大蛇となりて 子種噛む」〔16-19〕とみえ、大蛇とは女性の妬みから生じるものであることもわかる。
 持子は九頭の大蛇、早子は八岐大蛇となる。
成(な)る大蛇(おろち) 世(よ)に蟠(わだかま)り  
胡久美(こくみ)らも 仕(つか)えて血脈(しむ)お 白人胡久美らは先に、細矛千足国の益人となった天押日命の臣となり、やがて大蛇と化した持子早子に仕え8年間にわたる政変を引き起こす。
奪(うば)ひ食(は)む    

【5】素戔嗚命の乱行と諭す天照神、なお怒る素戔嗚命の乱行の結果、岩戸隠れ

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の七「遺し文祥禍お立つ」紋(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P376-377 )

  素戔嗚尊(そさのを)仕業(しわざ)  
味気(あぢき)なく 苗代(なしろ)重播(しきまき) 「頻蒔(しきまき)」『霊界物語』では山の奥までも耕作し不毛の地所などを作らぬ事。
黒駒(あお)放(はな)ち 稔(みの)らず御稲(みぞ)の 「畔放(あはなち)」『霊界物語』では天然力・自然力の開発利用のこと
新嘗(にいなめ)の 神御衣(かんみは)織(お)れば  「新嘗」とは11月に行われる新嘗祭のこと。
 「神御衣(かんみは)」とは天照神の召す装束。
 記紀には天照大神が親から御衣を織っているように記されている。
 機を織るのは后の仕事であるから、記紀の記述からは天照神は女神にされてしまう。
 しかしながら、本書の記述をみれば斎衣殿にて機を織っていたのは花子姫であるのが明らかであり、天照神はあくまで男神であることがわかる。
(※)私の立場は、天照大神と記述するときは女神であり、天照神と記述するときは男神である。天照大神天照神を明確に使い分けている。
殿(との)汚(けが)す これ糾(ただ)されて  
素戔嗚尊(そさのを)が 一人(ひとり)被(かふ)むる  
斎衣殿(ゐんはとの) 閉(とづ)れば怒(いか)る 「ゐん」は「ゐみ」の訛音。忌み清めた機殿の義。
斑駒(ぶちこま)お 甍(いらか)穿(うが)ちて  
投げ入るる 花子姫(はなこ)驚(おどろ)き  
梭(ひ)に破(やぶ)れ 神去(かみさ)りますお  
泣(な)く声(こえ)に 君(きみ)怒(いか)りまし  
素戔嗚尊(そさのお)に 「汝(なんじ)汚(きたな)く  
国(くに)望(のぞ)む」 道(みち)なす歌(うた)に 天照神は、素戔嗚尊が国を我が物にしようとしていると思ったようだ。
天(あめ)が下(した) 和(やわ)して巡(めぐ)る  
日月(ひつき)こそ 晴(は)れて明(あか)るき  
民の両親(たら)なり    
素戔嗚尊(そさのを)は 岩(いわ)お蹴散(けち)らし  
なお怒(いか)る 君(きみ)恐(おそ)れ増(ま)し  
岩室(いわむろ)に 入(い)りて閉(と)ざせば 『古事記』には「天も石屋戸」、『日本書紀』には「天の石窟」と記されている。
本居宣長は「天石屋戸は、必ずしも実の岩窟には非じ、石とはただ堅固を云るにて、天之石位天之石靫天磐船などの類にて、ただ尋常の殿をかく云るなるべし」としている。
小笠原通當も「天の岩屋とハ天宮の堅固なるを申」としているので、その説に従うことにする。
なお、飯田武郷は実際の岩窟とする。
天(あめ)が下(した) 昼夜(かが)も紋(あや)無し 昼も夜もその区別がつかない様。

【6】高天原での神議り、天之岩戸開き

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の七「遺し文祥禍お立つ」紋(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P377-379 )

野洲川(やすかは)の 暗(やみ)に驚(おどろ)く  
思兼命(おもいかね) 手火松(たびまつ)馳(は)せ 松明は手火松(たびまつ)の義〔40紋註38参照〕。
この一文は、松明を持って、近江野洲川から東北の日高見まで馳せたことをさす。
子に問いて 「高天原(たかま)に議(はか)り 手力雄命
祈(ゐの)らんや」 兵主命(つわものぬし)が  
「真栄木(まさかき)の 上枝(かんゑ)は瓊玉(にたま) 『古事記』では、上枝に八尺(やさか)の勾璁(まがたま)の五百津の美須麻流(みすまる)の玉、中枝に八尺鏡、下枝に白丹寸手、青寸手となっている。
『日本書紀』では、上枝に八坂瓊の五百箇の御統、中枝に八咫鏡(一に云はく、真経津鏡といふ)、下枝に青和幣、白和幣となっている。
中(なか)つ枝(ゑ)に 真悉(まふつ)の鏡(かがみ)  
下(しも)和幣(にぎて) 懸(か)け祈(ゐの)らん」  
鈿女(うすめ)らに 日陰蔓(ひかげ)お襷(たすき) 以下には〔7-17〕まで宮神楽の起源が描かれている。
「日陰蔓」は「ひかげのかずら」に同じ。
シダ類ヒカゲノカズラ科の常緑多年草。各地の山麓に生える。
『神皇正統記』に「天鈿目の命、真辟の葛(かづら)をかづらにし、蘿葛(ひかげのかづら)を手襁(たすき)にし」とみえるのが注目される。
後世大嘗祭などの祭礼奉仕の物忌のしるしとして冠に掛けた。
茅巻矛(ちまきほこ) 朮(おけら)お庭火(にはび)  「茅巻矛」柄を茅萱を巻いた矛。
 「朮(おけら)」『大同類聚方』の山草部に「袁介良 味は少し辛く香し。7月、花を開く。白、赤二種とも用ゆ。10月に根を採り日に乾す。山中に自然に生ずる者を宜しと為す。諸国に多く出づ」とみえ、槇佐知子著『全訳精解大同類聚方』の解説には、次のように記されている。
 袁介良(おけら) 生薬名朮(じゅう)。白朮(はくじゅう)と蒼朮(そうじゅう)があるがどちらか不明。
 漢方や信仰に無関心な人も、大晦日に京都祇園の八坂神社で行われる白朮詣(おけらまいり)のことは知っているのではないだろうか。
 白朮祭ともいい、白朮と柳に点じた種子火を大篝に移し、この朮火(おけらび)を吉兆縄に受け、消さないように回しながら家まで持って帰る初詣の姿は、毎年のようにテレビで放映される。
 昔は帰宅後、この火縄に白朮を添えて焼いた火で雑煮を作ったという。
笹湯花(ささゆばな) 神座(かんくら)の殿(との) 「笹湯花(ささゆばな)」巫女が神懸りをする前に行う湯立て。
 笹の葉を熱湯に浸して自分の体に振りかけ、手に持って祈ることをいう。
 参考までに、奈良県橿原市南浦町の天香久山の南に湯笹明神がある。
 「神座(かんくら)」とは神が降臨する座のことであろう。
 大槻文彦や折口信夫は、神楽(かむくら)の語源を神座とする。
神か 深(ふか)く議(はか)りて 「神かり」は「神かり」の誤写と考える。
 もし「神かがり」を「神篝火(かがり)」とすれば、前に「朮お庭火」とあり、篝火と庭火は同じものであるから文章上問題が出てくる。
 「神かがり」のあとに「深く議りて」とあることから、国常立尊の常世国をしのぶ歌とあることや、「神座」が神の依代であることから、女が神懸りし、その神託を諸神が深く議ったとみるべきであろう。
 『日本書紀』では「・・を以て手襁にして、火処焼き、覆槽置(うけふ)せ、顕神明之憑談(かむがかり)す」と書き、『古事記』では「天の香山の小竹葉(おたけば)を手草に結ひて、天の石屋戸の汗気伏(うけふ)せて踏みとどろこし神懸り為て」と記している。
思兼命(おもいかね) 常世(とこよ)の踊(おどり)  
永幸(ながさき)や 俳優(わざおぎ)歌(うた)ふ  
香久(かぐ)の木(き) 枯(か)れても匂(にほ)ふ  「香久の木」は橘のことで、天照神の坐す伊雑宮の南殿の橘をたとえたもの。
 すなわち、国常立尊の常世の道に基づいた政事を象徴的に表している。「枯れても匂ゆ」とは、「その橘の実は香りが強いために、木が枯れても匂っている、天照神がお隠れになって世が闇となっても、まだ常世の道は断えはしません」ということ。
  宮神楽の中で、人長が持つ物にちなむ「採物(とりもの)」「神おろし」の歌に「榊葉(さかきば)の 香(か)をかぐはしみ 求(と)め来れば八十(やそ)氏人(うじびと)ぞ 円居(まとゐ)せりける 円居せりける」というのがある。榊がかぐわしいというのはおかしいが、これを本書の「香久の木」と関連づければ理解できよう。
   しほれても良(よ)や あが妻(つま)  
あわ あが妻(つま)あわや しほ 「あが妻あわ」とは「私は天地(あわ)を妻としましょう」という意。
れても良(よ)や あが妻(つま) あわ  
諸神(もろかみ)は 岩戸(いわと)の前(まえ)に  
光門鶏(かしまとり) これぞ常世(とこよ)の 21紋に「鶏(にわとり)は 光(か)お受けて鳴きて」〔21-9〕、「己(おの)が光(か)お 告(つ)げす揺(ゆ)らすは 烏(からす)なり 鳥より先に 知る神の 門(しま)は鳥居(とりゐ)ぞ」〔21-9・10〕とあることから、「カシマ鳥」は朝の光すなわち暁を告げる門にいる鶏の義と考えられる。
永幸(ながさき)や 君(きみ)笑(ゑ)み細く  
窺(うかが)えば 岩戸(いわと)お殴(なぐ)る  
手力雄命(たちからを) 御手(みて)取り出(い)だし  
奉(たてまつ)る 兵主命(つわものぬし)が  
注連縄(しめなわ)に 「な帰(かえ)りましぞ」  

【7】素戔嗚命の刑罰と瀬織津姫の助命

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の七「遺し文祥禍お立つ」紋(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P379-380 )

しかるのち 高天原(たかま)に議(はか)り  
素戔嗚尊(そさのを)の 咎(とが)は千暗(ちくら)の  素戔嗚尊の罪が合計千暗となり、天の巡りの三百六十暗の約三倍に達するほどであるということ。
 「六月の晦の大祓」に「千座(ちくら)の置座(おきくら)に置足(たら)はして」とあり、『日本書紀』では「千座置戸(ちくらのおきと)」、『古事記』では「千位の置戸」とあるが、多くの物を置く台などと解せられている。
 本書では、それが罪状の度数を表すものであることが明白である。
三段(みきだ)枯(か)れ 髪抜き一つ  
爪(つめ)も抜(ぬ)き まだ届かねば  
殺すとき 向津姫(むかつひめ)より  
清雄鹿(さをしか)に 「大食物(うけもの)祈(いの)り  『秀真政伝』に「蒼稲魂神(うげのみたまのかみ)に祈(いのり)て稚桜姫(わかざくらひめ)蘇生(よみがえす)事を得たり」とある。
 「稚桜姫」は花子姫のこと。
 5紋〔5-5〕に記されるごとく、伊弉冉尊の死により、大食御魂が分かれ生じた。本紋の場合は、これらの御魂を逆に勧請し集合させて蘇生させたということであろう。
蘇(よみが)えす 花子姫(はなこ)の四百祥(よもさ) 花子姫が蘇生したのでその祥により、花子姫を殺した罪の四百暗を償われたということ。
償(つぐの)ゑば 祥禍(さが)お明(あ)かせよ  
素戔嗚尊が 仕業(しわざ)は血脈(しむ)の 素戔嗚尊の乱行は、母の伊弉冉尊が月の汚気のときに孕んだ子なので、生まれつきの性癖からくるものであるという意味。
虫(むし)なれど 祥禍(さが)除(の)く獄舎(つつが)  
なからんやわや」    
勅(ことのり)お 諸(もろ)が議(はか)りて  
天(あめ)悖(もと)る 重(おも)きも血脈(しむ)の  
半(なか)ば減(へ)り 交(まじ)わり去(さ)ると  
菅笠(すがさ)青(あを) 八重(やゑ)這(は)ゐ求(もと)む 『秀真政伝』に「青草を笠みのとして」とある。
下民(したたみ)の 流浪(さすら)やらひき  

【8】道清気(みちすけ)の歌と神楽の起源

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の七「遺し文祥禍お立つ」紋(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P380-380 )

大御神(ををんかみ) 知ろし召されば  
天照(あまて)らす 人(ひと)の面(おもて)も  
楽(たの)しむに 道清気(みちすけ)の歌  
天晴(あは)れ あな面白(おもしろ)  
あな楽(たの)し あなさやけ  
おけ さやけおけ  
あわれ 面白(おもしろ)  
さやけおけ あな楽し  神の降臨をよろこび、庭燎のあたりに神聖な気をひろがらせるために行われるという宮神楽歌の「阿知女(あちめ)作法(わざ)」は「あちめ おおおお おけ あちめ おおおお おけ おおお おけ」というものであるが、神楽の発生の原点を天照神の岩戸隠れとするなら、おそらくこの「阿知女(あちめ)作法(わざ)」と「道清気(みちすけ)の歌」と何らかの関連をもつものであろう。
 『古語拾遺』にも「あはれ<言ふこころは天晴也>、あなおもしろ<古語、事の甚だ切なる、皆あなと称ふ。言ふこころは、衆の面の明に白き也>、あなたのし<言ふこころは手を伸べて舞ふ。今楽しき事を指して之をたのしと謂ふ、此の意也>、あなさやけ<竹葉の声也>、をけ<木の名也。其の葉の振ふの調也>」という歌が載る。
相(あひ)ともに 手(て)お打(う)ち延(の)べて  
歌(うた)ひ舞(ま)ふ ちわやふるとぞ 「ちはやふる」ともいう。 8紋に「日増すの者魔(ものま) 天狗影(あゐぬかげ) 炎も逃れ 『ちわやふる 神の恵み』と千々(ちぢ)拝(おが)む」〔8-26〕とある。
・・天照神が天の岩室から出てきたことから、『万葉集』の「千磐破る」という字のあて方に近いようにも思える・・・
楽(たの)しめば これ神座(かんくら)に  
天照らす 大御神(ををんかみ)なり  

【9】素戔嗚尊の野洲川宮の訪問、昼子姫と素戔嗚尊の誓約

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の七「遺し文祥禍お立つ」紋(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P380-382 )

流浪男(さすらを)は 「勅(みこと)お受けて 罪を犯し宮中より追放された素戔嗚尊のこと
根国(ね)に行(ゆ)かん 姉(あね)にまみゆる  昼子姫(和歌姫・下照姫)のこと。
 『日本書紀』では天照神と昼子姫を混同し天照神女神説の根拠としているが、これが誤伝であることは、本書全体の記述から容易にうかがわれる。
しばし」とて 許せば上る  
野洲川辺(やすかはべ) 踏(ふ)み轟(とどろ)けば  
鳴(な)り動(うご)く 姉(あね)はもとより  
流浪男(さすらを)が 荒(あ)るるお知(し)れば  
驚(おどろ)きて 「弟(おとうと)の来(く)るは  
さはあらじ 国(くに)奪(うば)ふらん  
父母(かぞいろ)の 依さしの国(くに)お 6紋に「先に父親 『花杵は 根の国細矛国 治らすべし』」〔6-13〕とある。
捨(す)て置(お)けば あゑ窺(うかが)ふ」と  
総角(あげまき) 裳裾(もすそ)お束(つか)ね 『倭名類聚鈔』に「毛詩註云、総角(和名阿介万岐)結髪也」とある。
頭髪を中央から左右に振分け、耳の上で丸く巻いて結い上げる形。前から見ると、2本の角のように見えるので、中国では「角髪」「角子」「総角」などと角の字を用いて表す。
髪を上げて巻くことから、アゲマキという。
『日本書紀』「崇峻即位前紀」の分註に「古の俗、年少児の年、十五六の間は、束髪於額(ひさごはな)す。十七八の間は、分けて角子(あげまき)にす」とある。
袴(はかま)とし 五百瓊御統(いもにみすまる) 『日本書紀』には「八坂瓊(やさかに)の五百箇(いほつみ)の御統(みすまる)」、『古事記』には「八尺(やさか)の勾璁(まがたま)の五百津(いほつ)の美須麻流(みすまる)の珠(たま)」とある。
「御統」は、多くの勾玉(まがたま)や管玉(くだたま)を緒で貫いてまとめて輪にしたものとされる。
なお、「五百瓊(ゐもに)」の「瓊」は、丹心の義をも含むものと思われる。
体(からだ)巻(ま)きて 千箭(ちのり)五百箭(ゐものり) 『日本書紀』に「叉(また)背(そびら)に千箭(ちのり)の靫(ゆき)〔千箭、此をば知能梨と云ふ〕と五百箭(いほのり)の靫(ゆき)と負(お)ひ」とみえる「千箭の靫」「五百箭の靫」のこと。
靫とは、矢を入れて背負う道具のこと。千箭とは千本入り、五百箭とは、五百本いりのものをいう。
肱(ひぢ)に付(つ)け 弓筈(ゆはず)お振(ふ)りて 「弓筈」『時代別国語大辞典』に「弓の両端の弦を掛けるところ、弓弭(ゆみはず)。上端を末弭(うらはず)、下端を本弭(もとはず)という。左右から削って弦をかけるようにするが、金属や、角・骨などで別にハズを作ってはめ込むこともあった」と記す。
剣(つるぎ)持(も)ち 堅庭(かたにわ)踏(ふ)んで  
蹴散(けちら)して 稜威(いつ)の雄叫(おたけ)に 「稜威(いつ)」は『神道大辞典』の「厳」の項では、「神の厳広なる威烈を讃える語。荘重の意味のイツカシ、儼然たる意味のイツクシ等の語根」とあり、「稜威」の項では「神霊の威烈を称する語」と記されている。
『古事記伝』には、「書紀に厳の字を用いられたるにつきてかの稜威と一つに心得るは誤なり、稜威は健きことを云ひ厳はことを云へれば本より別なり。神を祭るときの種々のものを健きことを以て名づく由なきことを思ふべし」としている。
本文の「稜威の雄叫」は「神霊の威烈な様」としても理解できるが、それではのちにある「稜威返ゑしませ」が理解しにくい。
詰(なじ)り問(と)ふ 素戔嗚尊(そさのを)曰(いわ)く  
「な恐(おそ)れそ 昔(むかし)根の国  
行(ゆ)けとあり 姉(あね)とまみゑて  
のち行(ゆ)かん 遥(はる)かに来(く)れば  
疑(うたが)わで 稜威(いつ)返(かゑ)しませ」  
姉(あね)問(と)わく 「清心(さごころ)は何」 「サ」は清きこと、速きことに通じる
その答え 「根国(ね)に至るのち  
子お生まん 女(め)ならば穢(けが)れ  
男(を)は清(きよ)く これ誓(ちか)ひなり  
昔(むかし)君(きみ) 真名井(まなゐ)にありて 天照神が、6紋に「急ぎ真名井に 行幸なる」〔6-6〕とあるように、豊受神のもとへ道奥の伝を受けるためにかけつけたときのこと
御統(みすまる)の 玉(たま)お滌(そそ)ぎて  
棚杵尊(たなきね)お 持子(もち)に生ませて 穂日尊の諱。
床神酒(とこみき)に 早子(はやこ)お召(め)せば 「床神酒」大濡煮尊・少濡煮尊の時代に、婚礼の儀式の制定とともにできた三々九度の盃。
その夢に 十握(とつか)の剣(つるぎ) この一文は、その後の持子早子の謀計および素戔嗚尊の乱行を予言するものである。
「十握の剣」は持子早子に同情するあまり、剣をもち暴挙に及ばんとした素戔嗚尊を、「折れ三段」は素戔嗚尊の乱行による千暗の罪の「三段枯れ」を、「さ噛みに噛んで」は子種を噛むことを最大の目的とする持子早子の本性本体としての大蛇をそれぞれ象徴するものと考えられる。
28紋には「また持子大蛇 瀬織津姫お噛まん噛まん」〔28-31〕とみえ、「さ噛みに 噛んで」と対応する。
折(お)れ三段(みきだ) さ噛(か)みに噛(か)んて  
三玉(みた)となる 三人姫(みたりひめ)生(う)む 御統の玉を滌いだことから「三玉」の夢を見た。これにより、のちに生まれた三姫の諱に「タ」をつけた。
タの諱(いみな) われ穢(けが)れなば もし私が穢れているのなら、三姫をもらい受けましょう、という意。
姫(ひめ)お得(ゑ)て とも恥(はじ)みん」と  
誓(ちか)い去(さ)る 姫(ひめ)人(ひと)なりて  
沖(おき)つ島(しま) 相模(さがむ)江(ゑ)の島(しま)  「沖つ島」28紋には「竹子姫 多賀に詣でて 大物主が 館に終われば 薄島(すすきしま) おもむろ納め 竹生島神」〔28-33〕とみえる。この原文から考察すると竹子姫は近江の竹生島に祭られたことになる。竹生島には都久夫須麻神社があって、安芸の厳島神社、相模の江島神社とならんで日本三大弁天の一つとされていることからも、竹子姫の遺骸を竹生島に納め、そこに社が建ったとみるのが順当であろう。
 ところが本紋に「沖つ島」とある。この沖つ島に関連して、滋賀県近江八幡市北津田町に大嶋奥津嶋神社(おおしまおきつしま)がある。
 この大嶋奥津嶋神社(おおしまおきつしま)は、延喜式内の名神大社の由緒をもつ古社で、祭神は、奥津嶋姫命。鎮座地は、現在の社殿のある近江八幡市の北部の島山という、琵琶湖東岸のかつての島の中央部南岸にあたる。
 一説には、近江八幡の沖合いに浮かぶ沖島の奥津嶋神社 (おきつしま)より現在の場所に遷座されたものともいわれている。
 さらに、現在同社の鎮座する島山には本書において奥津嶋姫命の夫と伝えられる大物主命を祭る大島神社も鎮座していて、本書の所伝と何らかの関連を示している。
 ここで『秀真政伝』をみると「三女自天を弁て、筑前沖津嶋、中津島、辺津島に身を流罪して世を恥恐玉ふ。又後に、安芸市杵嶋、近江竹生島、相模江島の三嶋に移って益以、罪を流清玉ふ」と記されている。
 私見では、竹子姫は筑紫にて罪を償ったのち、近江沖津島にて、大物主の大己貴命とともに暮らし、その館にて神上がって、竹生島に遺骸を納めたのではないだろうか。
 なお、竹子姫については、28紋に「竹生島神 昔流浪い 琴お弾く 時に霰の 薄打つ 琴に響きて 妙なれば 木の葉お写し 琴造る 名も糸薄打ち 島湖も 名は糸薄(いすき)なり」〔28-33〕とあり、後に「竹生神」という称え名を賜ったという記述がみえる。
 「相模江の島」28紋に「湍子姫 香久山祗命の 妻となり 香児山命生みて 相模なる 江の島神と なりにけり」〔28-34〕とある。「相模」は天照神の夢で大蛇を象徴した「さ噛みに 噛みて」に通じ、「さ噛む」という意味。「江の島」は、神奈川県藤沢市片瀬町にある江島のこと。
 ここに鎮座する江島神社は、本書の所伝にいう三女神にあたる多紀理毘売命、市寸島比売命、田寸津比売命の三柱を祭っている。
 しかも、同社には、寿永元年北条時政が祈願のため、この島の窟中に籠り、一顆の玉を感得したという本書の所伝の「三玉」との関連を暗示する伝承も伝えられている。
厳島(いつくしま) 自(みか)ら流浪(さすら)ふ 「厳島」28紋には「田奈子姫 伊吹戸宮に 生む御子の 兄は伊予津彦命 土佐津彦命 宇佐津彦命 これ御ともに 行(ゆ)きて筑紫の 宇佐に住む 母も宇佐にて 神となる 厳島宮 厭う神」〔28-29〕とある。
 「宇佐」は、大分県宇佐郡宇佐町和気および橋津から南宇佐にわたる地域の古称。厳島神社は、広島県宮島町に鎮座、市杵島姫命を主神とし、湍津姫命、田心姫命を合祀する。
流浪男(さすらを)の 陰(かげ)のミヤビの 「流浪男」は、罪を犯し宮中より追放された素戔嗚尊のこと。「陰のミヤビ」は、密情のこと。ここでは、早子と素戔嗚尊が密情を結んだこと。
過(あやま)ちお 晴(は)らしてのちに  
帰(かえ)ります    

【10】伊弉諾尊と伊弉冉尊の良き子を産む法

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の七「遺し文祥禍お立つ」紋(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P383-384 )

  昔(むかし)二神(ふたかみ)  
遺(のこ)し文(ふみ) 「天(あめ)の巡(めぐ)りの  
蝕(むしば)みお 見るマサカニの  
中凝(なかこ)りて 生(うむ)む素戔嗚尊(すさのを)は  
魂(たま)乱(みだ)れ 国(くに)の隈(くま)なす  
過(あやま)ちぞ 男(を)父(ちち)に得(ゑ)て 本紋〔7-10〕「男は父に 女は母に付く」に照応する
地(ち)お抱(いだ)け 女(め)は母(はは)に得(ゑ)て  
天(あ)と居寝(ゐね)よ 浮橋(うきはし)お得(ゑ)て この場合、天の道に基づく「嫁ぎ法」に従って、という義と考えられる。
嫁(とつ)ぐべし 女(め)は月潮(つきしほ)の 月経
のち三日(みか)に 清(きよ)く朝日(あさひ)お  
拝(おが)み受(う)け 良(よ)き子(こ)生(う)むなり  
誤(あやま)りて 穢(けが)るときに  
孕(はら)む子(こ)は 必(かなら)ず荒(あ)るる  
前後(まえうしろ) 乱(みだ)れて流(なが)る  
わが恥(はぢ)お のちの掟(おきて)の  
占形(うらがた)ぞ 必(かなら)ずこれお  
な忘れそこれ」