伊太祁曽神社(いたきそ)【2】神社に掲載されている由緒書き|和歌山県

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和歌山県和歌山市伊太祁曽558( マピオンによる広域地図
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神社に掲載されている由緒書き

神社に掲載されている由緒書き

由緒の画像

伊太祁曽神社社殿整備募財趣意書
 伊太祁曽神社の創祀については詳しく分かっていませんが、日前・国懸神宮の御鎮座に伴い垂仁天皇16年(西暦前14年)に今の日前宮の地から伊太祁曽の「亥の森」に遷座し、約700年を経て大宝2年(西暦702年)に三社分遷の勅命があり、それから11年を経て和銅6年(西暦713年)に今のこの地に御鎮座になったというのが通説であります。
 御祭神は、五十猛命・大屋津比売命・都麻津比売命であります。三柱の神様は、素盞鳴命の御子で、檜・杉・樟(くすのき)・槙(まき)などの樹木の種子を日本全国に頒布し木の国(紀伊)に鎮まったと「日本書紀」に記載されています。
 当社の社殿の変遷について上古・中世に詳しい伝承・記録がなく不明ですが、天正13年(西暦1586年)の豊臣秀吉の根来征伐の時に羅災し、羽柴秀長によって社殿が再建されました。
 その後、幾多の変遷を経て昭和9年の暴風雨で被災し全壊に近い様相でした。当時は官幣中社であったために内務省が直轄で社殿の工事を行い、昭和13年に今の社殿が竣工しました。

                        <以下略>