熊野那智大社【2】神社に掲載されている由緒書き|和歌山県

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和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1
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神社に掲載されている由緒書き

神社に掲載されている御案内

由緒の画像

 こちらが熊野那智大社でございます。全国約4000余社の熊野神社のご本社でもあります。
 上皇・法皇方の熊野御幸は百十数度を数え、その後世に「蟻の熊野詣」という様に全国からの熊野詣が盛んになり、伊勢に7度、熊野に3度という諺も生まれました。
 そもそも那智山の信仰の始まりは、神倭磐余彦命が那智の瀧を神として祀られたことに始まり、仁徳天皇の御代にここにお社をお遷ししたのであります。
 御祭神は熊野13神(含む、飛瀧神)であり、御主神は熊野夫須美大神と申し、伊弉冉神(いざなみのかみ)でございます。
 修験道の霊場となってからは、「日本第一大霊験所・根本熊野三所権現」と崇め、熊野信仰の御本社としての篤い信仰が寄せられ、那智山熊野権現と申しました。
 ご祭神の夫須美神は「むすび」=「」で願望成就の信仰であり、一時期「結宮」とも申しましたが、後に、官幣社となり、今日では「熊野那智大社」と称し、熊野本宮大社・熊野速玉大社と共に「熊野三山」と申します。

   御例祭は7月14日です。
 毎月の1日14日18日と祭日には祭典を斎行します。

神社に掲載されている熊野那智大社の御案内

由緒の画像

 この地を「熊野」と申します。
 クマとは、「奥まった処」「隠れたる処」との意があり、そこには「上座」であり「聖」なる地と位置つけています。「クマ」と「カミ」は同じ意味があり、「クマノ」は「カミの野」で、神々の住まえる地といえます。
 神倭磐余彦命はこの地に上陸され、八咫烏の案内で大和の地に着き神武天皇となられました。その時に那智の瀧を大己貴命の御霊代として祀られたのが那智山信仰の起こりと伝え、仁徳天皇5年(約1680年前)この地に社殿を建立したと伝えています。
 古来、「日本第一大霊験所・根本熊野三所権現」那智山熊野権現と称し、御社名を「熊野那智大社」と申し、ご祭神は、熊野夫須美大神と申し上げ、日本で最初の女神「伊弉冉命」を主神とし12柱の神々をお祀りし、全国に鎮座する約4000余社の熊野神社の御本社(熊野本宮大社・熊野速玉大社とともに)であり、熊野三山の一社であります。
 重畳と続く紀伊の山々の果て、前面に大海原が拡がる温暖の地は京洛より山川80余里、往復1ヶ月を要し後白河法皇の34度、後鳥羽上皇の31度を始め数多くの人々が続々と熊野詣を為し、その様子を「蟻の熊野詣」と称しています。
 御社殿は、熊野権現造りと称し正面5棟・側面1棟と御縣彦社・鈴門・瑞塀から成っており、往古、織田信長により焼き討ちに逢い、豊臣の代に再興し、享保・嘉永に修復し、最近では、昭和9年の室戸台風の被害により解体修復が行われ、平成7年に国指定文化財となりました。
 更に、平成14年より檜皮の葺き替え・丹塗りの塗り替えを行い、御社殿及び境内域はこの度「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に認定され、この那智山社域一帯は吉野熊野国立公園特別地域であります。

  那智山 熊野権現
       熊野那智大社