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因幡堂跡の碑と峠の地蔵
鳥取県側に回ったのは、氷ノ山の信仰は若桜が主であったこと、何より鳥取県側は登山距離が短いからであった。
因幡堂跡の碑と峠の地蔵が祀られており、避難小屋がある。
ここからは緩い尾根道をのんびり歩き、こしき岩に着く。この岩で米をふかし餅をつき権現に供えたと伝える。やや傾斜を増したが急登はなく山頂に着く。
山には雪は全く見えない。避難小屋や太陽光発電水洗トイレ、尼工氷ノ山ヒュッテ跡碑などがある。遙かに大山(だいせん)が見える。 避難小屋の脇に須賀の宮神宮跡とあり、真新しい石祠(平成6年)があり、次のような説明板がある。
素戔嗚尊は須賀山(氷ノ山)に降臨され八岐の大蛇を退治し、奇稲田媛を妻とし陵と宮を造った。この宮を須賀の山神宮といった。因幡、但馬、美作、播磨四か国の総社で皇室が管理していた。頂上と中腹に五十八ヶ所の宮跡と礎石が現存している。茲に須賀山の古代遺跡を後世に伝えるため、之を建てる。
(須賀ルーツを探る会)。
因幡堂跡の碑と峠の地蔵が祀られており、避難小屋がある。
ここからは緩い尾根道をのんびり歩き、こしき岩に着く。この岩で米をふかし餅をつき権現に供えたと伝える。やや傾斜を増したが急登はなく山頂に着く。
山には雪は全く見えない。避難小屋や太陽光発電水洗トイレ、尼工氷ノ山ヒュッテ跡碑などがある。遙かに大山(だいせん)が見える。 避難小屋の脇に須賀の宮神宮跡とあり、真新しい石祠(平成6年)があり、次のような説明板がある。
素戔嗚尊は須賀山(氷ノ山)に降臨され八岐の大蛇を退治し、奇稲田媛を妻とし陵と宮を造った。この宮を須賀の山神宮といった。因幡、但馬、美作、播磨四か国の総社で皇室が管理していた。頂上と中腹に五十八ヶ所の宮跡と礎石が現存している。茲に須賀山の古代遺跡を後世に伝えるため、之を建てる。
(須賀ルーツを探る会)。
兵庫県の山 より引用です
因幡堂跡の碑
準備中
ご祭神
赤倉山(氷ノ山)と須賀の山
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