新旭の大田神社 (おおた)【3】文献に掲載されている由緒書き|滋賀県

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滋賀県高島市新旭町太田1468( 「いつもNAVI」による広域地図
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文献に掲載されている由緒書き

『全国神社名鑑』(史学センター)に掲載されている由緒書き

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滋賀県神社庁に新旭町の日吉神社からの引用

 滋賀県神社庁の新旭町の日吉神社からの引用

 明細書に創祀年代不詳であるが、社伝によると大田神社は延暦の頃大伴大田宿彌の裔である大伴福美麿河行紀がこの地に来りて開拓し、祖先の名を地名となし、弘仁元年祖神天押日命を祀りて大田社を創立した。
 当社は延喜式所載の神社であって、一に大年神を祀っている。
 文永元年に國子六所大明神を祀って社殿を再建し、応安元年頃には既に菅公を合祀して天満天神宮と称していたが、応永31年には山城國曼殊院法親王の令旨によって菅原道真の霊を勧請し、爾後大田天満宮と称して居た。
 享保4年には本殿を同8年には拝殿及末社を改築した。
 古来武将の崇敬も厚く、永正年中には新庄城将から大刀、天文3年には同じく唐鞍及鰐口の献納があり、文禄年中には青地城主の武連盛隆の祈願があった。
 寛政12年には、曼殊院門跡の直轄に属した。
 明治5年には天満宮なる名称を改めて、式内大田神社と旧に復した。
 明治35年小松宮彰仁親王より社号大田神社の御染筆を御下賜になった。
 明治9年村社に列格。