思い出の写真集(旅行の記録)
生駒市の神武天皇聖蹟 鵄邑顕彰碑・・
奈良県の宇陀には、九頭龍神社があるのではなく、九頭神社(くず)、屑神社(くず)、栗栖神社(くず)、国栖神社(くず)が置かれている。
これは宇陀だけにいえるのではなく、吉野についてもいえることだ。
葛(くず)、九頭(くず)、屑(くず)、栗栖(くず)、国栖(くず)とは、この論考の立場で言えば、「火の国」の燃えカス・ススのことだ。
この「火の国」の歓喜の燃えカス・ススがないと物質界が誕生しない、つまり宇宙が誕生しない。
ところが、物質界が誕生するとき、「火の国」の歓喜の燃えカス・ススと「燃えカス・ススを忌み嫌う気持ち」が結びついてしまったのだ。
全ての苦悩は物質界の誕生時からすでに始まっていたのだ。
万が一、この時の失敗を克服できなかったとしても、何が課題だったのかを明確にすることが出来る。
これは宇陀だけにいえるのではなく、吉野についてもいえることだ。
葛(くず)、九頭(くず)、屑(くず)、栗栖(くず)、国栖(くず)とは、この論考の立場で言えば、「火の国」の燃えカス・ススのことだ。
この「火の国」の歓喜の燃えカス・ススがないと物質界が誕生しない、つまり宇宙が誕生しない。
ところが、物質界が誕生するとき、「火の国」の歓喜の燃えカス・ススと「燃えカス・ススを忌み嫌う気持ち」が結びついてしまったのだ。
全ての苦悩は物質界の誕生時からすでに始まっていたのだ。
奈良県には、物質界が誕生するときの記憶が特別に留められているのだと思う。
第一次天孫降臨とは、物質界が誕生するときの失敗を克服するためのものだったのだ。万が一、この時の失敗を克服できなかったとしても、何が課題だったのかを明確にすることが出来る。
神武天皇の後をおって、とてもよく理解できた。
金鵄発祥之処といわれる鵄山(とびやま)の前で記念写真・・
郵便局からの道を真っ直ぐ来て右折します
直進します・・
右折します・・
右手に曲がり山の方に入っていきます
藪の中に入ります・・
倒木が道をふさいでいるようでした・・
私の使命は・・
「火の国」の歓喜の燃えカス・ススと「燃えカス・ススを忌み嫌う気持ち」を分離し、「火の国」の歓喜の燃えカス・ススを物質界の素子とし、「燃えカス・ススを忌み嫌う気持ち」を克服することにある。物質界が誕生するには・・
〜平成20(2008)年12月29日(月曜日)の夜から12月31日(水曜日)にかけて記述 (詳しくはこちら)〜
火の国の歓喜の結果、周辺に黒煙が生じる。いわゆる火の国の燃えカス、ススだ。(※)この火の国 ( 参照 ) の燃えカス、ススがないと物質界は誕生しない。
この黒煙の世界にも火の国の光と熱が届けられているのだが、熱は届いても光は届ききらなかったのだ。
この黒煙の発生について永遠の楽園の住人は無知であった。
そのため、永遠の楽園のなかに「黒煙を忌み嫌う心」が生じてしまった。光が行き届く世界においては、「黒煙を忌み嫌う心」は浄化しえたのだが、光が行き届かない黒煙の世界では浄化し切れなかったのだ。
永遠の楽園のなかの「黒煙を忌み嫌う心」が黒煙の世界にも到達した。
その結果、黒煙を慈しみ育もうとした「光の当たらない熱のベルゼブブ」は、「黒煙を忌み嫌う心」をも育ててしまったのだ。「黒煙を忌み嫌う心」は黒煙発生源である火の国を嫌う九頭龍として現れてしまった。
九頭龍の実体は「光の当たらない熱」(ベルゼブブ)の中で、「黒煙を忌み嫌う心」が火の国の燃えカス(物質界の源になる素子)を得て、物質的に実体化したものである。
(※)「光の当たっている熱の部分」をアロンという。
九頭龍が生まれたことによって、ベルゼブブは慈愛の座から転落してしまった。
ベルゼブブは光と熱の関係を破壊しにかかり、九頭龍は、黒煙を生じさせる火の国を破壊しにかかった。
火の国がなければ、黒煙は生じないし、光と熱も生じないからである。
ベルゼブブが光と熱の関係を破壊した結果、光の天使と熱の天使アロンの中は引き裂かれ、光の天使は「希望」の座から転落し、熱の天使は「情熱」の座から転落してしまったのだった。
遠い遠い天使の国の物語である。
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