月の光奉賛会

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月の光奉賛会の設立に向けて

  2023
 「月の光奉賛会」のページに訪問していただいてありがとうございます。

 なぜ、月の光奉賛会を設立するのか?
 という問いに対して、壱岐島を周っているときの思い出を語るのが、一番よくお伝えすることができると思います。

 壱岐島は伊邪那岐命と伊邪那美命の国生みの島で、壱岐島の別名を天比登都柱といいます。
 2006年8月6-7日にかけて壱岐島の神社を周ったとき、天比登都柱を祀っている神社を参拝しました。
 お聞きしておきたい点があったので、参拝後に宮司さんのご自宅に立ち寄らせていただきました。
 質問の主旨がボヤケないように自己紹介させていただきながら、お話を聞かせてもらいました。

(1)阪神淡路大震災のあった1995年から、日本各地の1,500カ所以上の神社を家族と共に周っていること。
(2)特に、伊邪那岐命と伊邪那美命の国生みの史跡を周っていること。
(3)京都の松尾大社の摂社である月読神社の参拝をしたとき、神宮皇后の鎮懐石と鬼界島の奇岩があるのをみて、壱岐島対馬に行くときが来たと感ずるものがあったこと。
(4)壱岐島では、天比登都柱がどのように祀られているのか知りたいと思ってきたこと。
(5)また、神宮皇后の鎮懐石がどこでどのように祀られているか、知りたいと思ったこと。

 私の話の途中で、宮司さんは、
「ちょっとお時間をください」
 と言って、家の座敷に入り、奥さんと一緒に、神職の奉仕作業する時の白装束姿で出てこられました。
 私の前に正座をされて、奥さんとご一緒に、私の前で両手をつくのです。
「私らは、金儲けに忙しくて、あなたのように勉強しておりません」
「子どもを大学にやり、無事に卒業させるのに精一杯です」
「本当に、申し訳ない」
「壱岐島で一番物知りの水神社の吉野宮司をご紹介させていただくので、当社のことも含めて、そちらでお聞きしていただけないか」
 と、ただただ謝るのでした。

 私の方が恐縮してしまって、宮司さん宅を出ました。
 家族が待っている車に向かいながら、とめどもなく涙がでてきました。

 昔から神様が鎮座する場所を預かって、本当なら、御神事のなかで生きていきたいだろうに、そういうことを許さない世情になっています。
 この時、宮司さんに謝らせてしまう私の配慮の足りなさを反省しました。
 同時に、宮司さんたちの置かれている経済状況の逼迫を何とかしなければならない、と強く思うようになりました。
 2018年10月8日の報道。
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 台風25号が接近していた2018年10月5日、宮崎県西都市銀鏡(しろみ)で新聞配達中に行方不明となった銀鏡神社宮司の浜砂則康さん(51)は、10月8日、近くの川に転落していた軽乗用車内で見つかりました。
 警察によりますと、10月8日午前10時半すぎ、西都市八重の銀鏡川に軽乗用車が沈んでいるのが見つかり、中から男性の遺体が発見されました。
 その後の調べで、遺体は10月5日から行方不明になっていた銀鏡神社の宮司・濱砂則康さん(51)と判明しました。遺体が見つかった現場の近くでは台風25号の影響で道路が崩落していて、濱砂さんは車ごと巻き込まれたと見られています。

 明治時代、御神職の方は準国家公務員だったので生活が安定していました。
 御神職の方の生活が安定している安心感から、思う存分、国の精神基盤を「祈り」の面から、天皇陛下と共に支えることができたのです。

 江戸時代から明治時代の日本は、開国があり、世界の欧米列強の植民地支配のなかで、奇跡的に植民地にならず、近代社会へ歩み始めることができていました。

 御神職の方の生活が安定していたことが、目に見えない力になっていたと私は認識しています。

 そして現在でも、御神職の方の生活が安定していることが何より大事で、国の根幹にかかわることだと認識しています。御神職の方のその先には、天皇陛下がいらっしゃるのです。

 明治時代、日清戦争(1894-1895年)と日露戦争(1904-1905年)を戦い抜き、日本は世界に衝撃を与えました。
 ヨーロッパを主戦場とした第一次世界大戦(1914-1918年)へも連合国の一員として参戦し、第一次世界大戦後のパリ講和会議(1919年)の委員会において、日本は「人種的差別撤廃提案」を提出し、神武天皇の建国の理念であった「皇国の国是は八紘を一宇とする」提案しました。
 明治維新(1868年)前後の激動を乗り越えられたのは、御神職の方の生活が安定していたこと、神社と氏子の関係が良好だったという古き良き時代の共同体の為せる業だと思います。

 壱岐島に行った2006年8月から、御神職の方の生活が安定するような、地域経済が活性化する必要があると思っていました。
 2006年から「何とかしよう」と思ってきましたが、何も有効な方策を施すことも出来ず、私も生活に追われながら生きてきました。

 それから10年以上の時が流れ、韓国の最高裁にあたる大法院は、2018年10月30日、韓国人の原告4人が第2次世界大戦中の強制労働を理由に損害賠償を求めた裁判の差し戻し上告審で、新日鉄住金の上告を退け、4億ウォン(約4000万円)を支払うよう命じる判決を下しました。
 この判決が影響し、「1965年締結の日韓基本条約や日韓請求権協定」が反故されかかっており、戦後の日本と韓国の協調関係に決定的な亀裂が入った状態です。

 さらに、2018年12月20日になって、能登半島沖で、海上自衛隊の哨戒機が韓国海軍の艦艇から射撃管制用のレーダー照射を受けるという事件が発生しました。
 徴用工判決や、レーダー照射問題は、韓国による竹島の不法占拠問題、「慰安婦」捏造問題のなかでおこりました。
 これらの諸問題が急激に累積して、今や、日韓関係は史上最悪といっていい状況になっています。

 戦後体制では、南朝鮮は西側の防波堤の役割をもっていましたが、現在では疑わしい状況で、日本の最前線は、対馬や壱岐島、隠岐諸島、佐渡島、石垣島、宮古島になろうとしています。
 こういう緊迫感がある半島情勢の時に、御神職の方の生活が不安定であっては、この歴史的難所を乗り切れない、と切に思います。

 今やらなければ、やる時はないだろう、とも思います。

 まず、対馬からやります。
 対馬の御神職の方々に、御神事につかっていただけるお金を玉串料として届けよう、と思いました。

 対馬の位置はとても重要です。
 韓国の釜山は、晴れた日だと対馬から肉眼でくっきりとみることができます。
 この釜山の日本領事館の前に慰安婦像を設置し、本来ナイ問題を「あるかのような問題」にすり替えようとしています。
 また、歴史的に解決済みの徴用工の問題を蒸し返し、徴用工像を釜山の日本領事館の前に設置しようとしています。
 これが、対馬の海の北側に見える釜山で起こっているのです。
 歴史を紐解けば、明治維新後の日本の命運を決した1905年の日露戦争の日本海海戦は、対馬沖でなされたものでした。

「皇国ノ興廃、コノ一戦ニ在リ。各員一層奮励努力セヨ」

 日露戦争ばかりでなく、豊臣秀吉が朝鮮出兵(1592年、1597年)する時も拠点になりました。
 元寇(1274年、1281年)も、対馬の小茂田が戦場になりました。
 さらに、白村江の戦い(663年10月-天智2年8月)のときも、対馬の金田城が攻防の拠点になっていました。
 神宮皇后の三韓征伐(200年ごろ)のときも、対馬は拠点になっています。

 さらに、歴史を神代の昔に遡れは、対馬は、伊邪那岐命と伊邪那美命の国生みの時に生まれた島で、別名を天之狭手依比売といいます。
 神々を産み落とされる前に、伊邪那岐命と伊邪那美命が産み上げられた島です。

 海幸彦・山幸彦で有名な彦火火出見尊の時代には、この地球の海宮があった島です。
 現在の海神神社が海宮の場所です。

 さらに、ノアの洪水やポピの洪水があったとされる12,000年前、はるか上空にあった高天原の水が大海原の水に落下する衝撃を、海の水で受け止め、地球が破滅するのを救ってくれた島でもありました。

 伊邪那岐命と建早須佐之男命は、ノアの洪水やポピの洪水で壊滅状態にあった神々を、まず対馬で救いだし、諸状況を勘案し、日本列島の配置を整えていったのです。

 ノアの洪水やポピの洪水のとき、天照皇大御神様は、天照皇大御神様として御活動するのは時期が早いので、子どもの姿をかりて救世の活動をされてこられました。
 この時の伝承が、対馬に残る「天童」伝承です。
 この「天童」伝承は、元来は天照皇大御神様のものなので、「天道(あめのみち)」伝承を伴っており、平安時代に空中飛翔の術を使って天皇陛下に仕えた「天道」法師の伝承の源になっていきました。
 対馬に残されている「天童」伝承は、今の時代の天照皇大御神様の事なのです。

 対馬なくして、日本や地球を語ることができない位置にあるのです。
 これからの地球の安定は、対馬がないと考えられないほどの位置にあるのです。

 だから、対馬から御神事をやる必要があります。

 昔のように各地域の神々を中心とした共同体が取り戻せるように、地元・地域の方と一緒に教育勅語を日本と世界のために奉読したい、と思いました。
 教育勅語→ http://tukinohikari.jp/housankai/kyouiku-tyokugo/kyouikutyokugo.pdf

 教育勅語

 朕惟フニ
 我カ皇祖皇宗
 國ヲ肇ムルコト宏遠ニ
 コヲ樹ツルコト深厚ナリ
 我カ臣民
 克ク忠ニ克ク孝ニ
 億兆心ヲ一ニシテ
 世世厥ノ美ヲ濟セルハ
 此レ我カ國體ノ演リニシテ
 ヘ育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
 爾臣民
 父母ニ孝ニ
 兄弟ニ友ニ
 夫婦相和シ
 朋友相信シ
 恭儉己レヲ持シ
 博愛衆ニ及ホシ
 學ヲ修メ業ヲ習ヒ
 以テ智能ヲ啓發シ
 コ器ヲ成就シ
 進テ公益ヲ廣メ 世務ヲ開キ
 常ニ國憲ヲ重シ 國法ニ遵ヒ
 一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ
 以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
 是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス
 又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
 斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ
 子孫臣民ノ俱ニ遵守スヘキ所
 之ヲ古今ニ通シテ謬ラス
 之ヲ中外ニ施シテ悖ラス
 朕爾臣民ト俱ニ拳々服膺シテ
 咸其コヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

 明治二十三年十月三十日
 御名御璽

みなさまのご協力に感謝します

 2018年12月から月の光奉賛会設立趣旨を説明させていただいて、私の取組に、ご協力を賜っている方々をまずご紹介させていただきます。
 この場をお借りしてお礼申し上げます。

◆お名前を出してもいいと、ご協力していただいている方々です(敬称略)。

山田 朋子 「合図の旗」を掲げる会 代表
赤澤 守美江 和の心
國分 孝一 日本を知る会 代表
千手 えり子 謝仏〜あなたの本質を写す〜 主宰
中川 昌久 中部空間サービス有限会社 代表取締役
白井 清  Serendipity LLC 代表社員

 満月の日に合わせて、玉串料酒肴料のカンパしてくださる方にも大変感謝します。
 お振込先は、問合せフォームに記入して送信していただくと、返信メールに書かれています。

 http://www.tukinohikari.jp/housankai/contact/index.html

成田亨です

 平成7年(1995年)1月17日に発生した阪神淡路大震災をキッカケに、日本各地の神社を家族と共に周ってきました。
 家族で、神社を周った総数は1,500神社を超えます。
 私が、1,500の神社を周ると、伊邪那美命が1,000で応えてくれるという直感によりました。
 下の画像は、平成25年(2013年)7月28日の伊勢神宮内宮のお白石御神事に参加する時の家族写真です。
 プロフィールはこちらです。
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あいう