御機の二十三〔御衣定め剣名の紋〕【1】ここだけは紹介しておきたい!|秀真伝

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御機の二十三〔御衣定め剣名の紋〕

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御機の二十三〔御衣定め剣名の紋〕の概略

【1】奇彦命の質問「斬るも宝か」・・

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十三〔御衣定め剣名の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P851- )
     

【2】天照神の回答、天の矛、伊邪那岐尊への勅命

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十三〔御衣定め剣名の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P127-170 )
     

【3】天照神の回答、瓊・矛・逆矛

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十三〔御衣定め剣名の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P127-170 )
     

【4】天照神の回答、天地去りて・・物部の派遣と政治の乱れ

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十三〔御衣定め剣名の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P127-170 )
     

【5】天照神の回答、身分と衣

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十三〔御衣定め剣名の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P127-170 )
     

【6】天照神の回答、行政組織

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十三〔御衣定め剣名の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P127-170 )
     

【7】天照神の回答、刑の種類と罪科の度合い

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十三〔御衣定め剣名の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P127-170 )
     

【8】奇彦命の質問「昔乱れず奢らぬお・・」

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十三〔御衣定め剣名の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P127-170 )
     

【9】天照神の回答、青人草が増えて

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十三〔御衣定め剣名の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P127-170 )
     

【10】天照神の回答、剣の製作、天目一箇神

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十三〔御衣定め剣名の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P127-170 )
     

【11】天照神の回答、枯れると活き、剣の音義

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十三〔御衣定め剣名の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P127-170 )
     

【12】奇彦命の誓い、日本大国御魂神、翼の臣

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十三〔御衣定め剣名の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P852-854 )
  時(とき)に大物主命(ものぬし)  
笑(ゑ)み曰(いわ)く 「昔(むかし)大物主(ものぬし)  
賜(たま)わりて 深(ふか)く思(おも)えど  
まだ解(と)けず 今(いま)やふやくに  
これお知(し)る これ八重垣(やゑがき)は  
物部(もののべ)の 名(な)なりと己(おの)が  
緒(を)に応(こた)ゆ てれば皇(すへら)の  
代々(よゝ)の垣(かき) 己(おの)が緒(を)なり」と  
誓(ちか)いなす また勅(みことのり)  
「宜(む)べなるや 奇彦(くしひこ)汝(なんじ)  
御孫(みまご)より 大国主神(をこぬしかみ)の 御孫の瓊々杵尊から大国主神という名を賜る。
賜(たま)う名(な)も まだ足(た)らずわれ  
二神の 賜(たま)ふ逆矛(さかほこ) 天照神が伊邪那岐尊と伊邪那美尊から賜った「逆矛」を奇彦命に授けた。
幸(さいわ)ひに その杵(き)お得(ゑ)れば  
譲(ゆづ)るなり 生(う)まれ素直(すなお)に  
弥真瓊路(やまとぢ)の 教(をし)ゑに叶(かな)ふ  
皇(すべらぎ)の 八重垣(やえがき)の翁(をき)  
賜(たま)ふ名(な)も 日本大国(やまとをヽこ)の  
御魂神(みたまかみ)」 時(とき)に奇彦命(くしひこ) 奇彦命、天照神から「日本大国御魂神」という名を賜る。
大国玉神・大国霊神は、土地の神の国土経営の霊徳に対する崇称として伝えられている。
恐(おそ)れ伏(ふ)し しばし答(こた)えず  
物部(もののべ)ら 「さ受(う)け賜(たま)え」と  
勧(すす)むれど また項垂(うなだ)るお  
天児屋根命(こやね)また 「な深(ふか)恐(おそ)れそ  
受(う)け賜(たま)え われ若(わか)けれど  
子守神(こもり)とは 世々(よよ)睦(むつ)まじく  
君(きみ)のため 中心(なかご)一(ひと)つに  
忠(まめ)なさん」 時に奇彦命(くしひこ)  
敬(うやま)いて 受(う)け頂(いただ)けば  
君(きみ)はまた 太玉命(ふとたま)香久山命(かぐ)に  
勅(みことのり) 「孫(まご)照彦尊(てるひこ)の 第一次天孫降臨を行った御孫の火之明照彦(ほのあかりてるひこ)
翼(はね)の大臣(おみ) 太玉(ふとたま)は世々(よよ)  
祭(まつ)り執(と)れ また香久山(かぐやま)は  
大物主(ものぬし)よ 六十(むそ)の物部(もののべ)  
掌(つかさど)り 民(たみ)お治(おさ)めよ」  
時(とき)にまた 天児屋根命(こやね)子守神(こもり)に  
勅(みことのり) 「今(いま)清仁(きよひと)の 第二次天孫降臨を行った瓊々杵尊
翼(はね)の臣(おみ) 天児屋根(こやね)は世々(よよ)の  
祭(まつ)り執(と)り 子守神(こもり)は世々(よよ)の  
大物主(ものぬし)ぞ ともに守(まも)りて  
民(たみ)お治(た)せ」 また皇孫(すべまご)に  
勅(みことのり) 「汝(なんじ)ら政(まつり) 第一次天孫降臨を行った御孫の火之明尊と第二次天孫降臨を行った瓊々杵尊に
怠(おこた)らず 秀真(ほづま)なるとき  
やヽ安(やす)ぶらん」    

【13】奇彦命、御諸山の神となる

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十三〔御衣定め剣名の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P854-856 )
奇彦命(くしひこ)は 大和(やまと)山辺(やまべ)に  
殿(との)造(つく)り 世(よ)お考(かんが)えば  
歳(とし)すでに 十二万八千(そふよろやち)も  27鈴木1枝(紀元前1,440,710)ごろから28鈴木ごろ、奇彦命、天照神から日本大国御魂神の称号と天之逆矛を賜う。
 奇彦命、12万8千歳にして、三諸山の洞に逆矛を持って隠れ神上がる。
(※)奇杵命が生まれたのは紀元前1,560,710年であり、国譲りが行われたのは奇杵命5,620歳の時の紀元前1,555,090年のことである。ということは、奇彦命が生まれたのは、この期間だということになる。
 奇彦命が12万8千歳のとき神上がられたということは、紀元前1,432,710年から紀元前1,427,090年の間になるはずだ。
極(きわ)あれば 後(のち)の守(まも)りは  
豊受神(とよけ)法(のり) 魂(たま)の緒(を)入(い)れて  
皇(すべらぎ)の 世々(よよ)守(まも)らんは  
天(あめ)の道(みち) 三諸(みもろ)の山(やま)に  
洞(ほら)掘(ほ)りて 天(あま)の逆矛(さかほこ)  
提(さ)げながら 入(い)りて鎮(しづ)まる  
時(とき)お待つ 直(す)ぐなる主(ぬし)お その洞にて時を待ち、素直な心の持ち主を見分けよう。
見分(みわ)けんと 直(す)ぐな印(しるし)の  
杉(すぎ)植(う)える 大国主(をこ)の御魂(みたま)の 「杉」の語源が「直ぐなる木」であることが推測される。なお、大神神社の社地が古くから大小の杉に蔽われ、「三本杉」を神紋としている点は、本書の所伝の関連で注意を要する点である。
神はもと 日の輪分け身 大和大国魂神は元来、日の輪の分身(わけみ)であり、天照神に次ぐ御神徳の神でした。
勅(ことのり)も 『天(あめ)に次(つ)ぐ』とて  
子守神(こもりかみ) 添物部(そへもののべ)は  
天苫見命(とまみ)なり 事代主(ことしろぬし)は  
積葉命(つみは)なり 瓊々杵(にいんきね)御子(みこ)の  
守(まも)りなりけり