5度の岩戸閉め、岩戸開き、建替え建直し、光の岸 月の光
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青森県の津軽 

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『秀真伝』(八幡書店刊、鳥居礼編著)上巻「御機の十」より
 大己貴命は出雲での国譲りの結果、青森の津軽に国替えになった。
 「高皇産霊尊は」国譲り騒動の原因となった「大己貴命の行為にもそれなりの理由があったとして勅を下され、津軽(青森
阿曾辺(あそべ)明る宮をお与えになったのでした。天の恵みをお受けになった大己貴命は、180人の神々を率い、津軽の明る宮に国を遷されました。そののちその地にて津軽大本(うもと)の神として神上がり祭られたのでした。そこで高皇産霊尊は、穂日尊をして出雲大社にて大己貴命を祭るようにお命じになりました。」
(※)今回宿泊するところが「アソベの森 岩木荘」というので、この地方にはまだ「あそべ」という言い方が残っている。

参考)本「月の光」>出雲旅行に向けての整理

岩木山神社
岩木山神社
岩木山神社
青森県中津軽郡岩木町百沢字寺沢27
TEL 0172-83-2135



 ☆ ☆ ☆
【神社の祭神】

全国一ノ宮会>津軽一ノ宮より
 中央の岩木山は阿弥陀如来、左峰の巌鬼山は十一面観音、右峰の鳥海山は薬師如来がおわします霊山として知られていた。古くは白山系の信仰の流れを汲み、出雲信仰も加わり、山頂の仏も、十一面観音だった。神仏分離令で寺院は廃止のかたちをとり、津軽総鎮守、国幣小社岩木山神社となった。百沢寺庫裏は社務所となり、阿弥陀三尊は、お花堂という厨子(県重宝)に入れられ、弘前の長勝寺に安置されている。


神社
秀真伝』(八幡書店刊、鳥居礼編著)下巻「御機の二十八」より

大己貴命     一姫お娶る         【一姫とは竹子姫のこと】
子の島津大人  三つ姫祭る         【三つ姫とは竹子姫・湍子姫・田奈子姫のこと】
外が浜      
厭(いと)う安潟       【三つ姫を外が浜に厭(いと)う安潟神として祭る】
神の御食    食む
厭(うと)うあり
九頭の      大蛇が食めば
島津大人    羽々矢斬り振れば
逃げ至り    
越の洞穴           【月の光>新潟県の奴奈川神社と弥彦神社
掘り抜けて   信濃に出れば
これお告ぐ   伊勢の戸隠命
馳せ帰り


善知鳥(うとう)神社
青森県青森市安方2-7-18
TEL :017-722-4843

青森と善知鳥(うとう)」より
  「青森」という地名は、寛永元年(1624年)に津軽藩二代目藩主、津軽信牧(のぶひら)が小さな漁村だった
善知鳥(うとう)村に藩港の開発を命じた事より始まり、漁師が目印にしていた小高い丘の森から由来して、「青森村」となったのが始まりとされている。
 「青森」の由来が明確だったのに対し、烏頭大納言安方の伝説はあったが、
「善知鳥(うとう)村」がなぜにそう呼ばれるようになったのかが謎であった。
 しかし、平成9年と10年に油川沖にてアマチュアカメラマンによって
善知鳥(うとう)の姿が撮影され、また津軽藩の学者である山崎蘭州による『善知鳥(うとう)の図』が発見され、その文中に「外ヶ浜沖合いの島に棲む」と書かれていたのが明らかになった。
 「
外ヶ浜」とは、現在の油川がかつて呼ばれた地名であることから撮影場所とも一致し、かつて善知鳥が生息していた裏付けとなった事から、「善知鳥村」の由来はその名の通り、善知鳥の姿が見られる珍しい場所であった事からなのだろう。。。
 ちなみに、
善知鳥(うとう)青森市の鳥に指定されている。

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