5度の岩戸閉め ・岩戸開き ・建替え建直し 月の光 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
平成9(1997)年5月3〜5日 四国へ 訪問神社は22社 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
・香川県〜平成9(1997)年5月3日(土曜日)に入る | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
5月2日の夜東京を出発して、岡山を通って香川県に入った。
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・徳島県〜平成9(1997)年5月3、4日(土曜日)に入る | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(平成18年5月26日の追記1) 平成9年8月当時は大麻比古神社が天太玉命が神上がられた場所と捉えていた。しかし、今回当時の旅行を整理していると天太玉命が四国に渡ってきたという記録がないような気がする。 すると、天太玉命が神上がられたのは、奈良県奈良市の穴栗神社(穴吹神社)か橿原市の天太玉命神社のどちらかである可能性が高い。春日大社が穴栗神社(穴吹神社)から勧請している摂社があることを考え合わせると穴栗神社(穴吹神社)が第一候補か。 『古語拾遺』を参照にすると次のようだ。 社家の姓氏ー忌部氏ーより 自家の衰運を嘆いた斎部広成が、祖先以来の経歴を述べて平城天皇に奉ったのが『古語拾遺』である。 それによると、忌部氏の祖は天岩戸で活躍した天太玉命である。 ほかに天太玉命に従っていた五神があり、 そのうち、@天日鷲命(太玉命の弟)が阿波忌部氏、A手置帆負命が讃岐忌部氏、B彦狭知命が紀伊忌部氏の祖となったという。C櫛明玉命 は出雲国玉作 の祖神、D天目一箇命が筑紫伊勢両国の忌部の祖神。 なかでも天日鷲命は穀(カジノキ:楮の一種)・木綿などを植えて白和幣を作り、その子孫が最も著われて代々、木綿・麻布などを朝廷に貢上し、それは大嘗会の用に供された。麻植郡の名もこれから起こった。 天太玉命の孫天富命は、阿波忌部を率いて東国に渡り、麻・穀を植え、また太玉命社を建てた。これが、安房社で、その地は安房郡となりのちに安房国となったと伝えられる。 いま、安房神社は安房国一宮となっている。 (平成18年5月26日の追記2) 那岐那美両神の島生みの段に「大宜都比売」がおり、神生みの段にも「大宜都比売」がおられる。まったくお働きが異なる神でる。 このただでさえ混同しやすい神名を祭神とする神社が徳島に二つある。 一宮神社(徳島市一宮町西丁) → 国生みの大宜都比売 上一宮大粟神社(名西郡神山町神領字西上角) → 神生みの大宜都比売 当時四国に行ったときにも確認したし、現在編集している時もご神意を伺いながら筆を進めている。とてもきわどい箇所だ。 |
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・高知県〜平成9(1997)年5月4、5日(日曜日) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(平成18年5月26日の追記) 平成9年当時、那岐那美両神の国生みの時の「建依別(たてよりわけ)」を高知県で探したが発見できなかった。 今回も、当時の旅行を整理しながら「建依別」を探したが見つけ出すことが出来なかった。 結局、「建依別」を祭っている神社はないのではないかと思われるくらいだ。 |
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・愛媛県〜平成9(1997)年5月5日(月曜日) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
愛媛県は時間がなくてこれ以上周れなかった。次回に期待。
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