5度の岩戸閉め ・岩戸開き ・建替え建直し 月の光 |
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平成13(2001)年8月13〜18日 大阪・和歌山・兵庫・四国方面 |
再編集は平成18(2006)年5月22日です。
6日間で探訪したのは、約40箇所でした。
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平成13(2001)年8月13日(月曜日) |
8月12日の夜に東京を出発して、日の出前に生国魂神社に着いた。繁華街の中にあって、ピンクキャバレーのネオンがけたたましい。大阪の「歌舞伎町」といっていいところらしい。
『ひふみ神示』が「イロにとらわれてこの世をおかしくして」しまったというアタリだなぁ、と思った。
公のサイト |
神社名 |
概 要 |
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生国魂神社 |
大阪府大阪市天王寺区生玉町101
祭神:生島神、足島神
〜『古語拾遺』に「生島これ大八島之霊」とある。
秀吉が大阪城を築城するさい、現在地に遷座。 |
公式サイト |
住吉大社 |
大阪府大阪市住吉区住吉町2171
祭神:(第一本宮)底筒男命(そこつつのおのみこと)
(第二本宮)中筒男命(なかつつのおのみこと)
(第三本宮)表筒男命(うわつつのおのみこと)
(第四本宮)息長足姫命(おきながたらしひめのみこと) |
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竈山神社 |
和歌山県和歌山市和田438
祭神:五瀬命 |
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玉津島神社 |
和歌山県和歌山市和歌浦中3-4-26
祭神:稚日女尊
息長足姫尊
衣通姫尊
明光浦霊 |
公式サイト |
淡嶋神社 |
和歌山県和歌山市加太
祭神: 少彦名命(すくなひこなのみこと)
大己貴命(おほなむじのみこと)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと) |
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友ヶ島 |
和歌山県の加太港から出る。
「おのころ島」といわれている。
→ 「友ヶ島」(このサイトのページです) |
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宿泊は能勢簡易保養センタ(0727-34-2200)。
この簡保の宿は日本を回ろうとすると、ちょうどいい中継地点になってくれる。これ以後、よく使うようになった。
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平成13(2001)年8月14日(火曜日) |
大阪府の能勢からいろいろ回って、淡路島に入った。
公のサイト |
神社名 |
概 要 |
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櫛岩窓神社(大宮) |
兵庫県多紀郡篠山町福井
祭神:櫛岩窓命
豊岩窓命
大宮比売命 |
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天照玉命神社 |
京都府福知山市今安
祭神:天照玉命
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(=天火明命、天照国照火明命)
天忍穂耳尊と万幡豊秋津師比売命の間に天火明命と瓊々杵命の二人の子供が設けられている。 |
公式サイト |
広田神社 |
兵庫県西宮市大社町7-7
祭神:天照大御神荒魂
(=撞賢木厳之御魂天疎向津媛命)
〜つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと〜
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この祭神は私の感覚では、「瀬織津姫」のことだ。
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公式サイト |
西宮神社
(えびすさん) |
兵庫県西宮市社家町1-17
祭神:西宮大神、天照大神、大国主大神、須佐之男大神 |
公式サイト |
生田神社 |
神戸市中央区下山手通1-2-1
祭神:稚日女尊(わかひるめのみこと) |
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次から淡路島 |
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岩屋神社(天地大明神) → マピオン地図 |
兵庫県津名郡淡路町岩屋字明神
祭神:国常立尊、伊邪那岐尊、伊邪那美尊
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絵島 → マピオン地図 |
明石大橋を降りて岩屋神社へ向かう手前にあった。
「おのころ島」と紹介されることが多いが、「おのころ島」であるという実感を感じることは出来なかった。 |
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この日の宿は、サンライズ淡路(0799-45-1411)
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平成13(2001)年8月15日(水曜日) |
震災記念公園の記念館に生田神社(兵庫県)の屋根がぺちゃんこに潰れた写真が掲載してあったのが印象的です。
公のサイト |
神社名 |
概 要 |
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北淡路町震災記念公園 |
(淡路島)兵庫県北淡町小倉177 阪神淡路大震災の震源地となった野島断層 |
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伊弉諾神宮
(一之宮) |
(淡路島)兵庫県淡路市多賀740
祭神:伊弉諾大神,伊弉冉大神
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伊邪那岐尊が静かにおかくれになった幽宮(かくりのみや)と伝えられている。
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公的サイト |
大和大国魂神社
(二之宮) |
(淡路島)南あわじ市榎列上幡多857
祭神:大和大国魂大神 |
公式サイト |
おのころ島神社 |
(淡路島)南あわじ市榎列下幡多415
祭神:伊弉諾尊
伊弉冉尊
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→ このサイト(『月の光』)でも紹介しています。
上の大和大国魂神社の氏子が創始した神社。
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公式サイト |
諭鶴羽神社 |
(淡路島)南あわじ市灘黒岩472番地
祭神:伊弉冉尊
(配祀)速玉之男命(はやたまのおのみこと)
事解之男命(ことさかおのみこと)
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熊野権現の元宮と伝えられる。
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神奈備 より
諭鶴羽権現と云われ熊野権現の奥の院と称されていた。 『熊野権現垂迹縁起』には、往昔、唐の天台山の王子信が
@日本の日子山に降臨し、
Aそれから伊予国の石鎚の峰、
B次いで淡路国の諭鶴羽の峰、
Cさらに紀伊国の熊野へ遷ったと記されている。
いずれも修験の霊場である。
むかし西天竺の霊神が第十八代崇神天皇の御代に五つの剣を東に向かって投げられ「吾が縁のある地に留れ」と誓い給うた。
一は紀伊国室の郡(熊野三山のこと)
一は下野国日光山、
一は出羽国羽黒山に
一は淡路国乙鶴羽の峰に
一は豊前国彦山に留まったと伝えられている。
ともあれ、その創建は遠い昔のことであり、自然崇拝、山岳進行に始まり平安時代に修験道が盛んになるにつれ、この山も前記の山々と共に神仏習合体として、大いに繁昌山上一帯に二十八字の大伽らんを建て熊野権現と並んで修験の霊場として栄え熊野権現奥之院また熊野元宮とも称えられ、ご神威は京の貴族社会にまで知られていた。
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公的サイト |
沼島の上立神岩 |
(淡路島)南あわじ市沼島
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→ このサイト(『月の光』)でも紹介しています。 |
公的サイト |
沼島のおのころ神社 |
(淡路島)南あわじ市沼島
祭神:伊弉諾尊
伊弉冉尊
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→ このサイト(『月の光』)でも紹介しています。
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沼島の上立神岩を見にいけたのは、私のショイコにおんぶされていた美穂だけでした。他の子供たちはもう疲れてグロッキーでした。
この日の宿は鳴戸ハイツ(088-688-1155)
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平成13(2001)年8月16日(木曜日) |
旅行も4日目。予定では水蛭子(ひるこ)・淡島(あわしま)の核心にせまれるはずです。
公のサイト |
神社名 |
概 要 |
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蛭子神社
→goo地図 |
徳島県阿南市出来町
那賀川河口周辺には、蛭子(ひるこ)神社が非常に多い。極論すると昔は、蛭子(ひるこ)神社だらけだった可能性がある。 |
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蛭子神社
→goo地図
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徳島県阿南市原ヶ崎町居屋敷
那賀川河口周辺には、蛭子(ひるこ)神社が非常に多い。極論すると昔は、蛭子(ひるこ)神社だらけだった可能性がある。 |
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八大竜王神社
→goo地図 |
徳島県阿南市向原町下ノ浜
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蛭子神社
→goo地図
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徳島県阿南市福村町南筋
那賀川河口周辺には、蛭子(ひるこ)神社が非常に多い。極論すると昔は、蛭子(ひるこ)神社だらけだった可能性がある。 |
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弁才天神社
→goo地図 |
徳島県阿南市畭町三田 |
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淡島神社
→goo地図 |
徳島県阿南市畭町三田
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津峯神社
→マピオン地図 |
徳島県阿南市津乃峰町東分
祭神:賀志波(かしば)姫命
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行ってみて、津峯神社のある津峯山は標高284メートルの低さながら風光明媚な山で、淡路島、沼島、友ヶ島、紀伊半島の田辺あたりまで見えることが分かった。
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日峰神社(日峯神社)
→マピオン地図
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徳島県小松島市中田町西山92
祭神:少彦名命
市杵島姫命
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標高は165メートルだが、北側には鳴戸大橋と淡路島が見え、南は伊島まで見える。
この日、沼島が見えるか確認したいところだったが、あいにく遠方までは見えなかった。しかし、地図と周辺の状況からいって沼島は見えるだろうと推測できた。
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今日の宿は愛媛県のにぎたつ会館(089-941-3939)。
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平成13(2001)年8月17日(金曜日) |
今日のポイントは二つ。第一点、浦度神社(うらどじんじゃ)が木花咲耶姫神が生れたところなのかどうかの確認。第二点、伊予の二名島の本宮は恵依弥(えひめ)二名神社と伊予神社のどちらなのか?
公のサイト |
神社名 |
概 要 |
公式サイト |
伊佐爾波(いさにわ)神社 |
愛媛県松山市桜谷町173番地
祭神:神功皇后(じんぐうこうごう)
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)
応神天皇(おうじんてんのう)
湍津姫命
市杵島姫姫命
田心姫命
外陣東照大神 |
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湯神社 |
愛媛県松山市道後湯之町4-10
祭神:大己貴命
少彦名命 |
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中嶋神社
(上記湯神社の境内地) |
愛媛県松山市道後湯之町4-10
祭神:田道間守命(垂仁天皇の時の人) |
公式サイト |
道後温泉本館 |
愛媛県松山市道後湯之町5-6
「玉の石」→大国主命が重病の少彦名命を助けようと、大分県の速見の温泉を引き入浴させたところ、少彦名命がよみがえって石に立ち上がったところ、足跡が残った。 |
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天山(あまやま)の
天山神社 |
愛媛県松山市天山町6
祭神:天照大神
天櫛真智命(あまのくしまちのみこと)
→奈良県天香久山神社の祭神でもある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 「伊予風土記(いよふどき)」の中に、天から山がふってきたときに二つに分かれて、一つは奈良県(ならけん)の香具山(かぐやま)となり、もう一つが愛媛県(えひめけん)の天山(あまやま)になったとあります。
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公式サイト |
伊予豆(いよず)比古命神社 |
愛媛県松山市居相町337
祭神:伊予豆比古命
伊予豆比売命
愛比売命
伊予主命
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『秀真伝』によると伊予豆彦命は二柱おられる。そこで、神社の社務所で質問した。
→伊弉諾尊の従弟にあたるアワ彦(伊予津彦命)であるという。 |
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高忍比売神社 (たかおしひめ) |
愛媛県伊予郡松前町徳丸宮の浦387
主祭神:高忍比売神(たかおしひめかみ)
(配神)天忍人命(あめのおしひとのみこと)
天忍日女命(あめのおしひめのみこと)
天忍男命(あめのおしおのみこと)
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聖徳太子の扁額あり。箒の神様。鵜葺草葺不合命が御生れになられる時、海からたくさんの蟹が産屋に入って大変な難産になったという。
そのとき、「高忍比売大神」と一心に唱え・・・・蟹を箒で掃きだした。
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・恵依弥(えひめ)二名神社 |
愛媛県伊予郡松前町出作
主祭神:惠比売命(えひめのみこと)
(配神)伊予津彦命
伊予津姫命
他14柱
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主祭神は伊予の国御霊の大神で、伊予の古宮として、往古から伊予二名本宮と称されていた。その後、伊予大社5柱大明神とも称された。@本宮伊予神社、A伊予二名神社、B伊予古宮、C愛依(えひめ)日宮、D正八幡宮。
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伊予神社 |
愛媛県伊予郡松前町神崎193
祭神:狭依島命(景行天皇12年に合祀)
愛比売命
伊予津比古命・伊予津姫命
日本根子太瓊命(孝霊天皇)・細姫命(皇后)
速後神命
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源義経が伊予守に任じた時、当社を崇敬した。明治30年宮内庁係官が境内の経塚を発掘し調査の結果、国幣社昇格が認められたが、氏子が少ないため廃議となった。 |
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浦度(うらど)神社
→マピオン地図 |
愛媛県新居浜市外山町
祭神:大山祗神
大雷神
高於加実神
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伊予温故録には「越智郡大三島の内浦度神社を勧請、大三島大山祗神社は、もと浦度神社と称し、瀬戸村にあった」とある。
ここの神社は大三島の大山祗神社の元宮らしい。
だとすると、大山祗神が生活された場として捉えていいのかもしれない。私は、木花咲耶姫神はここで生れたと解している。 |
公式サイト |
石鎚神社(本社本殿) |
愛媛県西条市西田甲797
祭神:石鎚毘古神
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浦度神社には満足した。そして、愛媛の本宮は、恵依弥(えひめ)二名神社の方だ。これも収穫。
今日の宿は今治湯ノ浦ハイツ(0898-48-2000)
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平成13(2001)年8月18日(土曜日) |
大山積神がテーマ。
それと、「大島、大多麻流別」がこの地なのかどうかだ。
公のサイト |
神社名 |
概 要 |
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別宮大山祗神社 |
愛媛県今治市別宮町3-6-1
祭神:大山積大神
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大三島の大山祗神社と左右対称をなす神社。あるいは裏表をなす神社。とても大切な神社。 |
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大島の亀老山展望公園
→マピオン地図
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愛媛県越智郡吉海町9
360度のパノラマが楽しめる。
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「・・大島、大多麻流別(おおたまるわけ)・・」かもしれないと思って回ってきた。
しかし、那岐那美両神の大島は、宮城県の気仙沼から行く大島がそれである。平成18(2006)年5月宮城県の大島に行ったとき、国常立尊に告げられた。
→マピオン地図
大島に「亀」はつきものか?
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大三島の大山祗神社 |
愛媛県越智郡大三島町宮浦3151
祭神:大山積神
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日本総鎮守と称され、全国1326社の総本社。 |
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大山積神社の参拝を終え、日帰り温泉の「汐温泉」というところで入浴してくつろいでいると、次の声が私の頭の中を駆け巡っていた。
「一厘の仕組みがなったぞ、一厘の仕組みがなったぞ」
この声は伝令のように全ての方面に届けられているかのようだった。
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