北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐうふじせんげんじんじゃ)は準備中です。

山梨県富士吉田市上吉田5558

  御 祭 神
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
夫神・天津彦火瓊々杵命(あまつひこほのににぎのみこと)
父神・大山祗神(おおやまずみのかみ)
 社伝によれば、110年、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方遠征の折に、大塚丘より富士山を遥拝し「富士には北側より登拝するのが良い」として、祠と鳥居を建てたのが始まりと云われている。
社殿右後ろにある鳥居から吉田口登山道が富士山頂に向かう起点となっているのは、その為だろうか。
また垂仁天皇の代に、富士山の大噴火を恐れる人々の心を静めるために勅令をもって火山鎮護の神、木花開耶姫を祀ったとする説もある。
延暦7年(788)甲斐守紀豊庭が現在地に社殿を造営した。
永正3年(1506)武田信縄は病気平癒を祈願して参詣を約し、大永2年(1522)には信虎が富士に登山しているが、ここから出発したと思われる。
永禄8年5月、信玄は六女・松姫(後の信松尼)の病気平癒を祈って、娘の参詣・神馬三疋献納などを約束している。
元和元年(1615)、谷村城主鳥居土佐守成次が現在の本殿を建立したが、一時荒廃していた。
享保18年になって、富士講の行者であった村上光清が私財をなげうって拝殿・手水舎・神楽殿・随心門を元文3年(1740)建立再興した。