大国主神社(貴志川町)【2】神社に掲載されている由緒書き|和歌山県

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和歌山県紀の川市貴志川町國主1
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神社に掲載されている由緒書き

権大明神垂迹神像・大盛飯祭礼図・大国主神社神楽殿

大国主神社記念写真
権大明神垂迹神像(南北朝時代)
大盛飯祭礼図(明治時代)
大国主神社神楽殿(江戸時代中期)

 権大明神垂迹神像は、貴志の庄を開拓した農耕神として古来郷人に親しまれ「権大さん」と呼ばれ、その御姿は農衣で左肩に鍬を担いでいたといい伝えられているが、今はその鍬はない。一木造り彩色で身丈約37cm、肩幅約19cmで大国主神社に合祀されている神像である。
 大盛飯祭礼図は、古来「貴志の大盛飯」として継続されてきた祭礼行列を描いたものである。
 明治初年中絶のやむなきに至り、今後の復興の資料にと中西才松翁が中島寿雄氏に依頼し、明治17年3月に祭礼行事の模様を描いた貴重な資料である。
 神楽殿は、高床式舞台造りである。当時この地方の文化殿堂として祭礼に際しては能舞台や神楽殿ともなった。また、句会の場ともなり場合によっては奉納相撲の観覧席ともなって人々を楽しませてくれた。このように神事・祭礼につかわれた建物であろう。

大飯盛物祭

 鎌倉時代末頃から大国主神社に伝わる伝統ある行事である。
 盛物とは高さ約5m、幅約3mの電球様のものを竹軸で作り表面にむしろを巻き、餅をぐるり取り付けたもので、この盛物を奉納する全国的にも類例のない珍しい祭りである。