第6代大物主の櫛甕玉命が住まわれた神坐日向社(ひむかい)【2】記念写真を交えての紹介コーナー|奈良県

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奈良県桜井市三輪字御子ノ宮( いつもNAVIによる広域地図
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思い出の写真集(旅行の記録)

第6代大物主の櫛甕玉命が住まわれた神坐日向社での記念写真

神坐日向社での記念写真

神坐日向社での記念写真

神坐日向社での記念写真

神坐日向社での記念写真

私が5歳のときに語りかけた、大国主命とは第6代大物主の櫛甕玉命ことだった

 平成24(2012)年5月5-6日(土-日)、第10代 祟神天皇と三輪山の行程の全てを終えた。

 最後に大神神社にご報告に向かった。

 駐車待ちの車の運転を女房に代わり、私だけ大神神社に行く。
 杉木立の参道を歩き始めると、
「よくやり遂げられた」
「よく、やり遂げてくだすった」
 と同時に2人の声が聞こえた。
 第2代大物主の奇彦命と第5代大物主の蕗根命(大己貴命)であろうか?

 次、神坐日向社に向かった。

 私が5歳のとき、「因幡の白兎」の絵本の表紙をみて、その表紙の大国主命に向かって私は次のように語りかけたことがあった。
「あなたがここにいて、なぜ私はここにいるのか?」
 と。
 私は、絵本をもっている私の小さな子どもの手をみて、非常に違和感をもったことを昨日のように思い出している。
 「因幡の白兎」の伝承地を周ろうとすると、子どもの頃の記憶が鮮明に蘇ってきて、平成19(2007)年8月まで周ることが出来ないでいた。
 子どもの頃の記憶が蘇る度に、「大国主命」について、どれだけのことを知っただろうか?
 ・・・こういう問いが頭をもたげてきて、なかなか行ききれなかったのだ。
 「大国主命」について調べれば調べるほど、難しさがいっぱいあった。
 第1代大物主の奇杵命も、大国主命や大己貴命と呼ばれていたし、第5代大物主の蕗根命も、大国主命や大己貴命と呼ばれていた。
 さらに、第6代大物主の櫛甕玉命も、大国主命や大己貴命と呼ばれていた。
 私が5歳のとき
「あなたがここにいて、なぜ私はここにいるのか?」
 と問いかけた「あなた」(大国主命)とは誰であったのか、明確に回答を出せないでいた。

 5歳の時の私の記憶の実感では、私はその「大国主命」と同じ時代を生き抜いてきたのだ。

 『上記(うえつふみ)』では、冬衣命(ふゆきぬ)が刺国若姫と結ばれ、大国主命(大土地神)を生む。
 冬衣命(ふゆきぬ)と刺国若姫の子が、大国主命であり「因幡の白兎」の主人公である。
 『上記(うえつふみ)』の冬衣命(ふゆきぬ)は蕗根命(ふきね)という別称をもっている。
 『秀真伝(ほつまつたゑ)』と『上記(うえつふみ)』に文脈上のつながりがあるとすれば、『上記(うえつふみ)』の冬衣命(ふゆきぬ)とは、『秀真伝(ほつまつたゑ)』の第5代大物主の蕗根命のことである。
 そうであれば、「因幡の白兎」の大国主命とは、第6代大物主の櫛甕玉命だということになる。

 こういう仮定は、2009年頃から持っていたが、今回三輪山に登山するまで確信をもてないでいた。

 今回、神坐日向社三輪山山頂の高宮神社(こうのみや)を参拝し、第6代大物主の櫛甕玉命が三輪山山頂の高宮神社(こうのみや)に「日向御子神」として祭られていることを知って、これまでの不勉強を恥じた。

 もう一度神坐日向社の神前に立った。

 私が5歳の頃、「因幡の白兎」の大国主命に問いかけたときのように、両手をめいっぱい広げ、
「あなたがここにいて、なぜ私はここにいるのか?」
 と問うた。

 耳をつんざくような大きな雷鳴が轟いた。

 ドロドロと、低く長く雷鳴は続いた。
 急に突風が吹き出し、「森」の木立を大きく揺らした。

 大粒の雨が、木立の葉を叩いた。

 狭井河之上顕彰碑(さいがはのほとり)の所でも雷鳴が轟いたが、神武天皇の后・五十鈴蹈鞴姫は、第6代大物主の櫛甕玉命の妹だったのだった。 

 あれから、2,700年経ったのだ。

 祝詞を奏上した。

 ずぶ濡れになったが、こういう祝詞もいいものだ。

 神坐日向社は、「奈良県櫻井市三輪字御子ノ森」という住所になっていて、「」という地名をもっている。
 平成22(2010)年2月1日(月)、未来の私は過去で死に現在になったとき復活する・・という夢でみた「」に関係しているかもしれない。

 平成22(2010)年2月1日(月)の夢。◆

 演武場がある場面だ。
 子どもの私が武術の練習をしている。
 いろんな姿に変装し、密かに私を探る人物がいた。
 私は宙に小さいステージを作り、その上で秘剣の練習に励んでいる。
 試合に出る列に私は並んだ。
 試合場から帰ってくる人列の中の女の子の姿の影に隠れて、密かに私を探る人物が通り過ぎていった。
 試合開始前のアナウンスで、主催者側からある報告がなされた。
未来のお前が、未来の力を現在で使うために、過去に行き亡くなった。
未来の力を現在で使うためには、お前はその場に立たなければならない
 演武場にいる全ての人々が聞いた。
 その言葉を聞いて、私の胸裏に何らかのイメージが響いてくる。
 いろんな人物が、少年の私が立ち寄った場所を探し始めた。
123・・いちにさん・・)という数字の読み方でを封じていたにも関わらず、時代が若やいでいる」
「これも時代の定めと思い、の封印を解こう」
 と宣言され、封印が解かれた。
 多くの人たちが、これまで封印されていたに行き何かを探そうとしている。

 ある人物が、少年の私に関する有力な情報を持っているようだ。

 その人物は遠い過去の私のことを知っている人物で、未来において、私がさらに先の未来の力を使うのを防ぐためにやって来た人物だった。
 過去からやってきた人物のようにも思える。
 ある場所に立ち、その人物と対面したところで目覚めた。

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 平成24(2012)年5月6日(日)の今日、私は確かに「ある場所」に立ち、「その人物」と対面した、という実感をもった。

 大直種子を祀る若宮社(大直禰子神社)も参拝する予定だったが、急な大雨になったため、また違う機会をみる。
 大直根子は、第6代大物主の櫛甕玉命に続いて、『秀真伝(ほつまつたゑ)』を著わした。
 雨が降り注ぐなか、車に戻ったのは、12時直前だった。

 最後に第10代崇神天皇の磯城瑞籬宮伝承地(しきのみずかきのみや)に向かった。

 今回の参拝は、この宮から始まった。
 最後にもう一目見ておきたかった。
 大正4年に建立された碑に重なって、白金の円柱が重なって見えてくる。
 天之御柱と国之御柱を見せていただいたのだろう。

 全ての行程を平成24(2012)年5月6日、12時30分に終了。