安倍の文殊院【5】記録に残しておきたいメモ書き|奈良県

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奈良県桜井市阿部山
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記録に残しておきたいメモ書き

安部の文殊院に行けばそなたの協力者が現れる

須佐之男神から
「安部の文殊院に行けばそなたの協力者が現れる」
 と言われていた。
 それ以来、安倍さん、文殊菩薩であった「岩彦宣伝使」の「」さんは非常に気になる名前になっていました。
 平成17(2005)年11月12日に安倍の文殊院行って、協力者らしき人が現れていたのだな、と思えるのは、それから1年と半年後の平成19(2007年)6月ごろでしょうか。

 この箇所の記述は平成20(2008)年5月14日です。

 一年半年くらい前に神に指摘を受けている事柄が実現する方向に動いています。

五芒星

 五芒星は、陰陽道では魔よけの呪符として伝えられている。
 印にこめられたその意味は、陰陽道の基本概念となった陰陽五行説、木・火・土・金・水の五つの元素の働きの相克を表したものであり、五芒星はあらゆる魔よけのお札として重宝された。
 日本の平安時代の陰陽師、安倍晴明は五行の象徴として、五芒星の紋を用いた。キキョウの花の形との類似から、この紋は晴明桔梗紋などと呼ばれる。現在も晴明神社の神紋などにみることができる。

 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用です。

文珠菩薩についての『霊界物語』の記述〜第40巻第2篇第7章より

 文珠菩薩についての『霊界物語』の記述〜第40巻第2篇第7章より

 照国別は照公、梅公、岩彦の宣伝使と共にクルスの森に休息する折しも、前方よりイソ館に向つて進撃する鬼春別の部将片彦の一隊の来るに会ひ、潜かに木の茂みに隠れて様子を窺ひつつあつた。

  <略>

片彦、釘彦将軍は今此時と、馬を飛び下り、岩彦の首を刎ねむとする時、何処ともなく山岳も崩るるばかりの大音響と共に数十頭の唐獅子現はれ来り、其中にて最も巨大なる獅子の背に大の男跨り、眉間より強烈なる神光を発射しながら、釘彦の一隊に向つて突込み来る、其勢に辟易し、得物を投げ棄て、或は馬を棄て、四方八方に散乱して了つた。獅子の唸り声に岩彦はハツと気が付きあたりを見れば、巨大なる獅子の背に跨り、眉間より霊光を発射する神人が側近く莞爾として控へてゐる。岩彦は体の痛みを忘れ起直り、跪いて救命の恩を謝した。よくよく見れば嵩計らむや、三五教にて名も高き英雄豪傑の時置師神であつた。岩彦は驚きと喜びの余り、
『ヤア貴神は杢助様、如何して私の遭難が分りましたか、よくマア助けて下さいました』
 杢助はカラカラと打笑ひ、
『イヤ岩彦、今後は決して乱暴なことは致してはなりませぬぞ。苟くも三五教の宣伝使たる身を以て暴力に訴へ敵を悩まさむとするは御神慮に反する行動である。飽迄善戦善闘し、言霊の神力を発射し、それにしても行かなければ、隙を覗つて一時退却するも、決して神慮に背くものではない。汝は之より此獅子に跨り、ライオン河を渡り、黄金姫、清照姫の遭難を救ふべし、さらば』
といふより早く杢助の姿は煙と消え、数多の獅子の影もなく、只一頭の巨大なる唐獅子のみ両足を揃へ、行儀よく坐つてゐた。今杢助と現はれたのは、其実は五六七大神の命に依り、木花姫命が仮りに杢助の姿を現はし、岩彦の危難を救はれたのである。岩彦は之より只一人唐獅子に跨り、ライオン河を打渡り、黄金姫の危急を救ふべく、急ぎ後を追ふこととなつた。
 此時、岩彦の姿は何時の間にやら透き通り、恰も鼈甲の如くなつてゐた。仏者の所謂文珠菩薩岩彦の宣伝使の霊である。之より岩彦は月の国を縦横無尽に獅子の助けに依りて、所々に変幻出没し、三五の神軍を、危急の場合に現はれて救ひ守ることとなつたのである。

日本の三大文珠堂

●京都府宮津市 天橋立の智恩寺
●奈良県桜井市の安倍文殊院
●山形高畠町の亀岡文珠堂