八幡神社(八井神社)トップページ
まだ弟が生きていた頃なので私が大学2年生(1978年)の初夏の話だったと思う。
青森に住んでいた私の伯母が、山形の私の実家は千葉県成田市台方の麻賀多神社(本社)とは切っても切れぬ関係があるのだ、と常々言っていた。
だから、家族総出でその麻賀多神社に行かなければならない。
半強制的に1978年の初夏、私が大学2年生のとき、成田の親族は麻賀多神社詣でをしたのだった。
そして伯母は、「この麻賀多神社の縁で私たちは成田の姓を名乗っている」と常々いっていた。
千葉県成田市船形の麻賀多神社(奥宮)に行くと、伊都許利命の墳墓が祀られている。
伊都許利命については、9世紀初頭の成立とされる『 先代旧事本紀 』の「 国造本紀 」に
「 印波国造 軽島豊明( かるしまとよあきら )朝御代。神八井耳命八世孫伊都許利命定賜国造 」
と見えるのが初見であり、命の名が現れる他の諸文献はすべてこの「 国造本紀 」からの引用と思われる。
軽島豊明とは第15代応神天皇のことであり、命の祖となっている神八井耳命とは、神武天皇と蹈鞴五十鈴姫の間に出来た長子で、多氏系氏族の祖である。
山形の私の実家が千葉県成田市台方の麻賀多神社(本社)とは切っても切れぬ関係があるということは、奈良県橿原市畝傍山北麓の八井神社(八幡神社)とも切っても切れぬ関係があるということだ。
私が心の奥からの衝動に駆られて、日本各地の神社を周ることになったのは、
「神八井耳命・・天神地祇を掌ることとなった」
という遠いご先祖の記憶のなせるワザなのかもしれない。
寂れ荒れた神社の趣に、成田の家の姿が重なって見える。
青森に住んでいた私の伯母が、山形の私の実家は千葉県成田市台方の麻賀多神社(本社)とは切っても切れぬ関係があるのだ、と常々言っていた。
だから、家族総出でその麻賀多神社に行かなければならない。
半強制的に1978年の初夏、私が大学2年生のとき、成田の親族は麻賀多神社詣でをしたのだった。
そして伯母は、「この麻賀多神社の縁で私たちは成田の姓を名乗っている」と常々いっていた。
千葉県成田市船形の麻賀多神社(奥宮)に行くと、伊都許利命の墳墓が祀られている。
伊都許利命については、9世紀初頭の成立とされる『 先代旧事本紀 』の「 国造本紀 」に
「 印波国造 軽島豊明( かるしまとよあきら )朝御代。神八井耳命八世孫伊都許利命定賜国造 」
と見えるのが初見であり、命の名が現れる他の諸文献はすべてこの「 国造本紀 」からの引用と思われる。
軽島豊明とは第15代応神天皇のことであり、命の祖となっている神八井耳命とは、神武天皇と蹈鞴五十鈴姫の間に出来た長子で、多氏系氏族の祖である。
山形の私の実家が千葉県成田市台方の麻賀多神社(本社)とは切っても切れぬ関係があるということは、奈良県橿原市畝傍山北麓の八井神社(八幡神社)とも切っても切れぬ関係があるということだ。
私が心の奥からの衝動に駆られて、日本各地の神社を周ることになったのは、
「神八井耳命・・天神地祇を掌ることとなった」
という遠いご先祖の記憶のなせるワザなのかもしれない。
寂れ荒れた神社の趣に、成田の家の姿が重なって見える。
神八井耳(かむやいみみ)命の御陵比定地
父の神武天皇が崩じた後、朝政の経験に長けていた庶兄の手研耳命(たぎしみみのみこと)は皇位に就こうとして、弟たちを害そうとした。
この陰謀を母后の歌から察知した神渟名川耳尊(後の綏靖〜すいぜい)・神八井耳命は片丘(奈良県北葛城郡王寺町)の大窖にいる手研耳を襲い、これを討った。
この際、神八井耳は恐怖で手足が震えおののいて矢を放てず、代わりに神渟名川耳が射て殺したという。
神八井耳はこの失態を深く恥じ、弟が天皇として即位するに及び、これを助けて天神地祇を掌ることとなったが、3年後に薨じた。畝傍山の北墓に葬られたと伝えられ、現在、奈良県橿原市山本町の八幡神社(古く八井神社と呼ばれた)はその伝説地とされる。
この陰謀を母后の歌から察知した神渟名川耳尊(後の綏靖〜すいぜい)・神八井耳命は片丘(奈良県北葛城郡王寺町)の大窖にいる手研耳を襲い、これを討った。
この際、神八井耳は恐怖で手足が震えおののいて矢を放てず、代わりに神渟名川耳が射て殺したという。
神八井耳はこの失態を深く恥じ、弟が天皇として即位するに及び、これを助けて天神地祇を掌ることとなったが、3年後に薨じた。畝傍山の北墓に葬られたと伝えられ、現在、奈良県橿原市山本町の八幡神社(古く八井神社と呼ばれた)はその伝説地とされる。
拝殿
ご祭神
【主 神】誉田別命本殿
八井神社周辺図
@近くの墓地の駐車場に車を止めた。
A右手に畝傍山を見て太子堂まで歩く。
B太子堂を過ぎて2軒目の路地を右に入る
C突き当りを左に行かず、野道になっている右へ足を運ぶ。
A右手に畝傍山を見て太子堂まで歩く。
B太子堂を過ぎて2軒目の路地を右に入る
C突き当りを左に行かず、野道になっている右へ足を運ぶ。
畝傍山北面図(画像はホームページ用に編集しています)
上の地図は、第225回活動記録 神武天皇陵の謎からの引用です。
畝傍山周辺図
大和三山周辺図
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