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神八井耳命の母・姫踏鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめみこと)を祀る
事代主神の娘(母の名は不詳)の姫踏鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめみこと)は神武天皇の皇后である。
神武天皇との間に、日子八井命(ひこやいみこと)、神八井耳命(かむやいみみのみこと)、綏靖天皇(すいぜいてんのう)を生む。
神武天皇が崩じた後、姫踏鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめみこと)は、朝政の経験に長けていた吾平津姫(あひらつひめ)の子・手研耳命(たぎしみみのみこと)の妻となった。
手研耳命(たぎしみみのみこと)は皇位に就こうとして、弟たちを害そうとしたが、この陰謀を母姫踏鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめみこと)の歌から察知した神渟名川耳尊(後の綏靖〜すいぜい)・神八井耳命は片丘(奈良県北葛城郡王寺町)の大窖にいる手研耳を襲い、これを討った。
この際、神八井耳は恐怖で手足が震えおののいて矢を放てず、代わりに神渟名川耳が射て殺したという。
神八井耳はこの失態を深く恥じ、弟が天皇として即位するに及び、これを助けて天神地祇を掌ることとなったが、3年後に薨じた。畝傍山の北墓に葬られたと伝えられ、現在、奈良県橿原市山本町の八幡神社(古く八井神社と呼ばれた)はその伝説地とされる。
姫踏鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめみこと)の妹・五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと)は、『日本書紀』、『旧事本紀』によれば、第2代綏靖天皇(すいぜいてんのう)の皇后で、第3代安寧天皇(あんねいてんのう)の母である。
神武天皇との間に、日子八井命(ひこやいみこと)、神八井耳命(かむやいみみのみこと)、綏靖天皇(すいぜいてんのう)を生む。
神武天皇が崩じた後、姫踏鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめみこと)は、朝政の経験に長けていた吾平津姫(あひらつひめ)の子・手研耳命(たぎしみみのみこと)の妻となった。
手研耳命(たぎしみみのみこと)は皇位に就こうとして、弟たちを害そうとしたが、この陰謀を母姫踏鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめみこと)の歌から察知した神渟名川耳尊(後の綏靖〜すいぜい)・神八井耳命は片丘(奈良県北葛城郡王寺町)の大窖にいる手研耳を襲い、これを討った。
この際、神八井耳は恐怖で手足が震えおののいて矢を放てず、代わりに神渟名川耳が射て殺したという。
神八井耳はこの失態を深く恥じ、弟が天皇として即位するに及び、これを助けて天神地祇を掌ることとなったが、3年後に薨じた。畝傍山の北墓に葬られたと伝えられ、現在、奈良県橿原市山本町の八幡神社(古く八井神社と呼ばれた)はその伝説地とされる。
姫踏鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめみこと)の妹・五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと)は、『日本書紀』、『旧事本紀』によれば、第2代綏靖天皇(すいぜいてんのう)の皇后で、第3代安寧天皇(あんねいてんのう)の母である。
拝殿
ご祭神
【主 神】姫踏鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめみこと)扁額
本殿
鳥居
畝傍山周辺図
大和三山周辺図
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