神社に掲載されている由緒書き
天香久山の西麓にある国見台跡に掲載されている由来書き
名勝 大和三山 香久山
三つの山は古来、有力氏族も祖神など、この地方に住み着いた神々が鎮まる地として神聖視され、その山中や麓に天香山神社、畝火山口坐神社、耳成山口神社などが祀られてきました。また、皇宮造営の好適地ともされ、特に藤原宮の造営に当たっては、東・西・北の三方にそれぞれ香久山・畝傍山・耳成山が位置する立地が、都宮を営むうえでの重要な条件にされたと考えられています。
大和三山を詠んだ和歌は多く、重要な歌枕として観賞上の地位を確立したほか、近世の地誌、案内記、紀行文などでも紹介され、万葉世界を代表する名所として、広く知れわたるようになりました。
香久山は伊予国風土記逸文に「天から降ってきた」という伝承が残っており、「天の香久山」とも呼ばれています。万葉集において「天」という美称がつけられた山は香久山だけで、このことから多くの山の中でも特別な位置付けを持っていたと考えられます。
登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立つ立つ
海原は 鴎立つ立つ うまし国そ 蜻蛉島
大和の国は
平成17年7月14日 文部科学省指定
奈良盆地の南部に位置する、香久山(152.4m)・畝部山(199.2m)・耳成山(139.7m)の三つの小高い山を総称し、大和三山と呼びます。香久山は桜井市の多武峰から北西に延びた屋根が侵食により切り離され小丘陵として残存したもので、畝傍山と耳成山は盆地から聳えるいわゆる死火山です。三つの山は古来、有力氏族も祖神など、この地方に住み着いた神々が鎮まる地として神聖視され、その山中や麓に天香山神社、畝火山口坐神社、耳成山口神社などが祀られてきました。また、皇宮造営の好適地ともされ、特に藤原宮の造営に当たっては、東・西・北の三方にそれぞれ香久山・畝傍山・耳成山が位置する立地が、都宮を営むうえでの重要な条件にされたと考えられています。
大和三山を詠んだ和歌は多く、重要な歌枕として観賞上の地位を確立したほか、近世の地誌、案内記、紀行文などでも紹介され、万葉世界を代表する名所として、広く知れわたるようになりました。
香久山は伊予国風土記逸文に「天から降ってきた」という伝承が残っており、「天の香久山」とも呼ばれています。万葉集において「天」という美称がつけられた山は香久山だけで、このことから多くの山の中でも特別な位置付けを持っていたと考えられます。
香久山を詠んだ万葉集
大和には群山あれど とりよろふ 天の香久山登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立つ立つ
海原は 鴎立つ立つ うまし国そ 蜻蛉島
大和の国は
舒明天皇(巻一 ー 二)
春過ぎて 夏来るらし 白栲の 衣乾したり 天香久山持統天皇(巻一 ー 二八)
久方の天の香久山 このゆふべ 霞たなびく春立つらしも柿本人麻呂(巻十 ー 一八一二)
頂上に掲載されている由来書き
準備中
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