黄金山神社(涌谷)【2】神社に掲載されている由緒書き|宮城県

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宮城県遠田郡涌谷町涌谷字黄金宮前23(広域地図はこちら
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神社に掲載されている由緒書き

神社に掲載されている由緒書き

由緒書き
 涌谷は、日本で初めて金(砂金)が採れた所である。それは奈良時代、聖武天皇によって東大寺の大仏が建立されていた時のことである。
 大仏は銅で鋳造したあと鍍金する金銅仏であった。だがこの鍍金用の金が不足し、大仏の完成が危ぶまれていた。そこへ天平21(749)年、涌谷から日本で初めて産出した砂金900両(約13kg)が、陸奥国守百済王敬福によって献上された。この砂金によって大仏は無事完成したのである。
 このできごとは世の中を大きくわかせ、聖武天皇は年号を天平から天平感宝へと変え、大伴家持は初産金を祝して歌を詠み、万葉集に残した。
 黄金山産金遺跡は、発掘調査によって奈良時代の建物跡が発見された。この建物は、産金を記念して建立された六角円堂と推定されており、天平産金の重要な関連遺跡として、昭和42年国史跡の指定を受けた。
 一方黄金山神社の歴史は古く、初産金のあった天平21(749)年、砂金が採れた山に神社があったことを示す記録がある。この神社が涌谷の産金と深い関わりのある黄金山神社で、後に官社となった。その後砂金の枯渇とともに朽ちたが、江戸時代に沖安海(おきやすみ)によって再興され、現在も人々の信仰を集めている。
 かつて砂金を採った地域は、箟岳丘陵一帯と考えられている。今でもこの丘陵のあちこちの沢から採れるわずかな砂金が、古代の栄華を現代に伝えている。